この方たちのような能力の持ち主でない普通の人でも、この方たちの職業に対する使命感、責任感・意欲などは学ぶことができます。50代や60代で仕事を投げ打って残された人生の時間を考えるなんて、20~30年は早いと言われそうです(もちろん目の前にやりたいことが明白にあって、早く準備にとりかかりたい場合は、この限りではありません)。
ところで普通の人は、ここまで仕事を続けることにこだわらないものでしょうか。
仕事を続けることにこだわっている人は多い
私の知る八百屋さんのご主人は、働き者で有名な近江商人出身です。冬のまだ暗い早朝から、冷たい水で野菜を洗ったりお漬物をつける姿は、近所の風物詩でした。夜遅くまでそれはそれは繁盛する八百屋を半世紀以上切り盛りしましたが、近所に大型スーパーが数店できたのです。
その後も常連客に支えられて細々と八百屋は続きましたが、ある年にとうとう店じまいを余儀なくされました。ところが数カ月後、閉店セールも行われたその同じ場所でご主人は、規模を小さくして八百屋を再開しました。遊んでいるだけの自分は、全然幸せじゃなかったそうです。
他にも、赤字だから辞めた居酒屋を、やはり客とつながっていたくて週1回だけ再開することに決めた人など、簡単には止めずに続けていくエピソードは尽きません。これなどますます儲けはないわけで、仕事は収入だけが目的でないことがよく分かる例です。
極めつけは、私がよくお見舞いに行く療養型の病院です。看護師の制服を着ていなければ、どちらが患者さんか分からないほど足取りもおぼつかない70代の老看護師さんたちが、廊下を行き来しています。その中のひとりに、「どうしてそこまでして働くの?」と聞いてみました。
「働いていると人の役に立っている充足感で、簡単なお弁当でもおいしく感じる。退職中は社会と隔離されているからか、丁寧に作ったお料理もおいしくなかった」というのです。
余暇も仕事があってこその余暇で、全部が余暇だと、かえって仕事を持っていた時よりも楽しめなかったと言います。専門職とはいえ老齢なので時給は安く、自宅からタクシーで往復すると収入面では割が合いませんが、断られるまで働き続けると、そこの老看護師メンバーは口をそろえます。「老いても動ける間は働き続けたい」の意味を、考えさせられました。
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