アジアと南米で大ウケする「着物ドレス」の正体 海外展開で始めてわかった着物の価値
シンガポールで販売した商品の着物生地は古着の着物生地だったのですが、シンガポールのお客さまは、生地のシミ自体にもヴィンテージとして価値がある、と判断しているように感じました。日本で着物にシミがあった場合、その着物の価値は下がってしまいますので、私は日本人の感覚で、出来る限りシミがないモノを選択して商品を制作しました。でも、シミがある生地を使用している洋服でも売れるのです。ヴィンテージの着物に関して海外市場でのポテンシャルを強く感じましたね。着物文化を後世に残していくためには、こうした海外の多様な需要を受け止めなければと思います。世界が日本をどう評価しているのか、肌で感じながら「MANAKA」を成長させたいですね。
金融窓口係からファッションへ
――山中さんは、大学卒業後、金融機関で窓口係をされていたそうですね。金融からファッションの世界へ。かなり異色の職歴だと思いますが?
山中:大学を卒業後、8年間は金融機関の仕事をしました。2年間の窓口業務を経てPR担当となり、Webサイトの立ち上げを任されることになりました。ちょうど、インターネットが普及し始めた頃ですね。もともと、「想いを伝える」仕事がしたかった私には、このWeb制作の仕事がひとつの転機となりました。働きながら土日は専門学校に通い、金融機関のWebサイトの新規立ち上げやリニューアルを担当。その後独立し、化粧品会社やエンターテイメントの分野のWebやDTP制作、プロダクトデザインの制作などを開始しました。業種は異なりますが、金融時代、窓口で直接お客さまと接し、それをWebのコミュニケーションに置き換える経験ができたことは、私にとってとても重要です。
――デザインの中でも日本の和の世界を深く掘り下げたのは、なぜですか?
山中:20代の頃、アメリカに滞在していたとき、日本の着物や伝統について尋ねられてもきちんと答えることができず、日本文化に無知な自分をとても恥ずかしく感じた体験が元になっています。日本人ならば日本のことをもっと深く理解しなくては、と思い学び直しました。
そして、繊細で美しい日本の和のデザインのすばらしさに傾倒していくうちに、日本の伝統的な技術が、後継者の問題で受け継いでいけない危機にあることも知りました。その現実を知ったとき、私に何かできることはないのか、模索しはじめたのです。そんな想いがきっかけで、30代の初めにWebの仕事とは別に、和と現代の融合を求めて仲間達と活動を始め、2013年に「MANAKA」を誕生させました。
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