私は川崎重工業の米国法人の社長を退いた後、独BMW、さらに米DEC(コンピュータメーカー、現ヒューレット・パッカード)という二つの外資系企業の日本法人の社長を務めました。その経験で感じた日本企業と欧米企業の大きな違いは、マネジメント人材の能力と国際性です。
欧米ではマネジャーの登用は流動的で、企業と個人の双方がつねに自由選択をしています。企業は必要なときに必要な人材を市場がつける値段で採用します。個人はつねに中途入社のチャンスがありますが、地位と報酬は市場がつけるので、客観的にプロと評価されるような実績を上げなければなりません。
日本企業の多くは定期新卒で採用されると定年まで囲い込まれるので、個人も企業も事実上、選択の自由がありません。マネジャーへの昇進は社内で決まるので、市場でプロとして通用するかどうかは一生不明のままです。
「生け簀の魚」ではなく、「沖の魚」
欧米企業は人材の国際性も豊かです。BMWの会議では、私がドアを開けて入ると、全員の会話がドイツ語から英語に変わります。私一人のために。日本企業で、外国人がいるからと言って日本人同士が英語で話すことはあまりないでしょう。DECでは、マネジャーたちが欧米人のほかインド人、中国人も多く、多人種の集まりでした。国籍を超えて働く彼らは個性が強く、会議はいつも喧々囂々(けんけんごうごう)でしたが、いわば混血経営の中から独創的な発想が生まれるという長所がありました。
これらに比べ日本企業は人材登用のグローバル化が遅れています。日本企業の取締役会は日本人ばかり。海外現地法人から登用される外国人の役員はまれです。
日本は今後20年間で生産年齢(15~64歳)人口が1300万人以上減少するという大きな課題を抱えています。日本企業は「量から質への転換」が必須で、それには従来型の日本的経営から脱却することが必要です。特にマネジメントの戦略力を強化するため、社外から国内外の人材を登用し、オープン化と国際化を進めるべきでしょう。異質な人材を尊重する社風の醸成やトップの指導力も求められます。
企業は人なり、と言います。日本企業がグローバル競争を生き抜くには、新卒で入社し一つの企業に定年まで勤めるような甘やかされた「生け簀(す)の魚」ではなく、市場でキャリアを磨いた「沖の魚」が経営を担うのが当然という時代を拓いていかねばならないと思います。
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