役員のほとんどが反対したオートバイ事業の北米展開。それが成功したのは、アメリカと日本の二文化経営、バイカルチャー・マネジメントがうまくできたからだと思います。
私はアメリカへ行く前、ブラジルに駐在していました。そのときブラジルに進出していた日本企業の実態を調べたところ、成功企業の代表は石川島播磨重工業(現IHI)とヤンマー・ディーゼル(現ヤンマー)でした。石川島は土光敏夫社長(当時)の「郷に入れば郷に従え」の方針でブラジル人主導の経営を戦略としていました。ヤンマーも同様で日本人は工場長一人だけ。この成功例を学んだ後、私はアメリカで経営の現地化を徹底したのです。
当時、先行してアメリカに進出していたホンダやヤマハは、経営トップは日本人出向者で、その次が日本人2世、アメリカ人はナンバー3より上へは出世できないという噂が現地で流れていました。私はここにチャンスがあると思い、カワサキはハーバード大学院卒のアメリカ人を経営トップに据え、人材の現地化を進めました。するとフォードやGM、IBM、ハインツなど有名企業のマネジャークラスの人が次々と入社してくれました。そういう優れた人材のおかげで、会社は急成長しました。
「二文化経営」の優劣がグローバル競争の勝敗決める
大型オートバイをアメリカ発で企画したことも成功の要因です。ホンダやヤマハは日本で売れているものをアメリカへ持ってきていました。しかしカワサキには日本で売れているオートバイがなかった。だからアメリカ人が欲しいオートバイを企画することができた。市場は小型から大型へシフトしていく最中。日本の各社は日米貿易摩擦を意識して、アメリカの大手ハーレーダビッドソンを刺激しないよう大型車を作らなかった。だが、それは日本人的発想で、カワサキのアメリカ人はそんな心配はいらない、ハーレーと違う大型車を作れば市場が広がりハーレーもハッピーになるはずだ、と言っていた。そしてハーレーとは違うタイプの大型車、Z1(900cc)を投入し大ヒット。大型車市場では全米シェア1位を獲得したのです。
Z1はアメリカ人の抜群のアイデアを日本の技術で開発した車。アメリカデビュー後、世界中で販売され、37年を経た今もなお人気を博す名車です。これぞ現地のニーズを知る人材の知恵と販売力に、日本の技術をミックスした「二文化経営」の結晶です。このような二文化経営の優劣が、今後もグローバル競争の勝敗を決めるのではないでしょうか。
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