会社の危機は自分のチャンス--。今から思えば私は35歳、係長のとき、会社がピンチに陥っている中で、チャンスをつかんだと思います。当時、私が勤めていた川崎航空機(現・川崎重工業)はオートバイ事業で不振を極め、撤退を考えていました。担当常務は心労のため体調を崩して急死されたほどです。航空機という官需中心の会社が民需へ転換することはいばらの道でした。
そのような中で私は、オートバイをアメリカ市場で伸ばすことを提案しました。担当外の役員たちは「国内で売れない製品がアメリカで売れるはずがない」「事業の撤退を検討しているのに余計なことを言うな」と批判しました。それでもアメリカ市場をこの目で見ていた私は、十分可能性があると、役員一人ひとりにプレゼンテーションをして回りました。
夢を語って賛同者を広げました
そんな戦いを続けていたある朝、常務から呼び出しがかかりました。「君は課長に昇格することになった。ある事業部に新設される営業企画課の課長だ」と言われたのです。入社同期で初めての課長です。このときが私の運命の分かれ目だったのでしょう。私はその課長の内定を辞退しました。「せっかくのご配慮ですが、オートバイ事業にいちばん興味がありますので」と。そして国際派の副社長の「やってみよ」との一声でアメリカでの事業が始まります。数々の失敗や紆余曲折を経ますが、7年目、カワサキのオートバイは全米大型車市場1位に上り詰めました。
会社勤めの人でも、自分のやりたいことはできます。会社には人材もいるし技術もあるし設備もある。会社の資産を使えばいろいろなことができます。やりたいことのために、それらを使わない手はありません。ただし自分のやりたいことと会社がやってほしいことが一致しなければ支持されません。そのために私は夢を語って賛同者を広げました。アメリカ市場がいかに大きく、また伸びているか、日本でダメだったオートバイ事業もアメリカでなら復活するチャンスがあると、多くの人に語り、人の輪を広げました。
会社にしてみれば、オートバイ事業から撤退すれば信用を失い会社倒産になりかねないし、事業部2000人の従業員とその家族が路頭に迷います。そういう困った状況の中で私が頑張ると言ったので、応援しようということになったのでしょう。
日本はいま不況で、どこの会社も困っています。こうしたピンチは多くの若い人にとってチャンスであり、リスクを取る行動が求められているのではないでしょうか。
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