普通の人では成し得ないようなこともヨーダの手にかかると、いとも簡単に実現する。これはヨーダがおよそ9世紀にもわたる生涯、フォースの導き手として自らも修行してきた結果でしょう。この力が備わっていれば、人間の諸悪の根源や苦しみとされる「三毒」(「貪り」「怒り」「愚かさ」)にとらわれないでいられる。
しかし、この三毒にとらわれてしまうと苦しみ、もがく。若き日のルークは、まさに三毒にとらわれていました。そしてこの三毒の象徴がダース・ベイダーといえるのかもしれません。
「禅」とは何か?とよく尋ねられることがあります。そのときに、私は「円相」とお答えすることがあります。円には、始まりも終わりもなく、言い換えれば、どこの一点をとらえても出発点であると同時に終着点であり、終着点であると同時に出発点。
「終わりは始まりであり、始まりは終わりである」
ルークがオビ=ワンと出会い、ヨーダのもとで修行をし、ダース・ベイダーも過去にオビ=ワンと師弟関係にあり、オビ=ワンもまたヨーダと師弟関係にあり、ルークとダース・ベイダーは親子であり、ルークとレイアは双子の兄妹であり……そのような流れやつながりを考えると、師弟、親子といった縁について、また始まりも終わりもなくつながっているこの物語に思いがめぐります。
物事には原因となる「因」があり、そこに人との関係、万物との関係など条件ともいうべき「縁」が結びつき「因縁」となって「結果」が生まれると「禅」では考えます。この観点から見れば、まさに『スター・ウォーズ』は、因縁の物語であると言っていいでしょう。
「禅」は、「悉有仏性(すべてに仏性がある)」という考えをベースに自分の仏性に気づくことを目指すものだと先ほど紹介しましたが、因縁の関係であるルークとダース・ベイダーが戦うシーンにも「禅」の教えに通じる部分があります。
ルークは自分の中にある仏性に気づき、悪の権化となっているダース・ベイダーの中にさえも仏性を見出そうとする。そして、父であるダース・ベイダーを殺すか、自身がダークサイドに陥るかの二者択一に迫られたとき、ルークはどちらも選びませんでした。
なんと自分のライトセーバーを投げ捨てたのです。「禅」でいえば、父であるダース・ベイダーの中にある「仏性(善の心)」を信じ、あらゆる執着を捨て、ダークサイドへの誘惑を断ち切るために、いちばん大切にしていたライトセーバーを喜捨(きしゃ)したことになります。
この「喜捨」は、心に抱えている執着心やこだわりを手放すという教えです。
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