ハレとケが、日本文化には根づいている 日本人のための着物についての「教養」
「利休は『茶の湯とは、ただ湯をわかし茶をたてて、飲むばかりなることと知るべし』と述べたと伝えられています。シンプルこそ最上だという思想です。そういう意味では、お茶の席に紬を着てもいいと思う人がいるかもしれません。ですが、大名など当時の支配階層のたしなみとして発展してきた茶道には、それなりの決まりごとが作られてきました。その発祥を考えても、いくら高価であっても野良着だった紬を公的な場で着ることは控えられる方がいいでしょう」
茶道も「道」と付く限りはしきたりの文化であるというのが高橋氏の主張。そのルールからはみ出るものは、たとえ最高の格の帯を用いたとしても、紬の格を上げることはできないし、格の違うものを合わせるのは奇異な感じがするという。
歌舞伎鑑賞でも着物の格がある
お茶席だけではない。かつては歌舞伎を鑑賞する際も、着ていく着物の格が要求された。
「江戸時代の歌舞伎は、興業する芝居小屋の格に従って、大芝居、小芝居、地芝居に分けられていました。大芝居の芝居小屋としては、中村座、市村座、守田座、山村座という『江戸4座』がありましたが、このうち山村座は絵島生島事件でなくなりました。大芝居を現代にあてはめると、東京では歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場というところでしょうか。中でも最高峰は歌舞伎座でしょうね」(高橋氏)
そうした歌舞伎を見にいく客は、その格にあった着物を決めたという。
「江戸時代には枡席に座る奥女中や大店のお内儀などは、何度も衣裳を着替えて観劇したと言われますし、京都の南座の顔見世興行では、そのために一張羅の着物をあつらえたものでした。いまでも大名跡の襲名披露の初日や千秋楽では、色留袖や訪問着などを着用される方がおられて、とても華やかです」
しかし今では時代が違うので、普段着でもかまわないだろうと高橋氏は言う。
「娯楽である歌舞伎鑑賞は、さほど着物の格にこだわる必要はありません。ただ最高峰の歌舞伎座に、浴衣のような着物を着たり、フリルのついた襟を付けるなど突拍子もないいでたちで行かれるのはいかがなものかと思います」
「晴」と「褻」との区別を付けるべきところとさほどこだわる必要のないところを区別するのも、ある意味で「晴」と「褻」を区別するということになる。
だが、高橋氏の思いにもかかわらず、格式を求めるべき場所でも着物の格は忘れられつつある。
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