ハレとケが、日本文化には根づいている 日本人のための着物についての「教養」
たとえば結婚式や披露宴だ。以前は新郎新婦の母親はもちろん、親戚の既婚女性はみな黒留袖を着用した。
黒留袖とは裾に絵羽が入った5つ紋の黒い着物で、既婚女性の第一礼装だ。戦前には花嫁衣裳だったこともある。
ところが近年、その黒留袖の発注・生産が激減しているのだ。仲人をたてる結婚式が減ってきたとともに、花婿花嫁の母親以外は黒留袖を着ることが少なくなったためである。
「滋賀県長浜市で生産される一越縮緬の生産が1カ月間、限りなくゼロ近くまで落ち込んだことがありました。一越縮緬は発色が良い上にシボが小さく、しっかりした質感があるので黒留袖に用いられていましたが、黒留袖の発注が減少したため、その影響を受けたわけです」(高橋氏)
黒は地味な色ではない
黒留袖が着られなくなった原因のひとつと考えられるのが、披露宴でテーブル席が主体になったことだ。かつては座敷で披露宴を開いていたため、膝にある留袖の柄も見えていた。ところがテーブル席になると、柄の付いていない胸の部分しか見えないため、地味になってしまうと黒留袖が避けられるようになったのだ。
しかし、黒を地味だという考えが間違っていると高橋氏は述べる。
「そもそも黒は全ての色を包括する最も高貴な色です。江戸時代までは美しい黒に染めるのは大変で、檳榔樹(びんろうじゅ)というヤシの木の一種から抽出した液を鉄媒染めしていました。明治時代になって化学染料が入り、さらに『三度黒』という手法が確立したため、やっと安定した黒染め大量生産が可能になったのです。ですから黒染めというのは、かつては1つ格上の仕事だったのです」
ただし宮中では黒は用いない。既婚女性の第一礼装とはいえ、黒留袖を着用しないことがプロトコールで決められている。
「その代わりに既婚女性は、色留袖を着用します。色留袖は私の亡父である先代の泰三が初めて製作し、後に絵羽物のひとつのジャンルとなったものと記憶しています。後に皇后になられた美智子さまが嫁がれた日、お母様の冨美子さんが正田家の玄関でお見送りされましたが、その時にお召しになった色留袖は父がお作りしたものです」
柳田國男が説くように、近代化とともにかつての「晴」と「褻」は曖昧になったが、同時に新しい「晴」と「褻」も生みだされているといえる。それを支えるのは他でもない、日本文化であり伝統だと高橋氏は言う。
「単に着物が売れればいいということではありません。着物は日本の文化・伝統が凝縮したものです。その中でもっとも素晴らしいものをお客様に提供することこそ、私どもの最大の喜びです。また着物の美を後世に伝えていくことこそ、最大の使命だと思っております」
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