昨今のお寺ブームは、まさに現代の仏教に対してのまなざしである。今こそ、僧侶たちはすでに手元にあるダイヤモンドを磨き、光らせる時。だからこそ、お寺や僧侶のあり方が重要だという。
「講演会でお話をさせていただくことも大切ですが、講演の後に『ちょっとお話ししたいのですが』といわれて話す“対話”はもっと大切だと思っています。釈尊の対機説法、つまり相手に応じ、相応しい手段で説法をすることですね。現代人が精神的なものを耕そうとしていくときに、過去からの膨大な体系がある仏教は現代人の知性に合っていて、フィット感が高いのだと思います」
横につないでいくアメーバのような存在
短期的な課題は「お寺をどうするか」であるが、今後見るべきはお寺の変化ではなく人間の変化だという。
「一昔前のSF世界が、今後どんどん実現されていくでしょう。色々なテクノロジーの力を借りて、人間のあり方も変わっていく時代に来ていると思います。やがては『人間とは何か』という問いがきっと出てくる。現時点でお寺が担っている『死者の記憶とつながる場』、つまりお墓や法事、亡き方に気持ちを向けることなどは、変容してしまう可能性もあります。
AI技術が進み、故人の生前のデータを取りこんで人工知能が学習すれば、故人と近いコミュニケーションができるようになるかもしれません。そうなると、死者と向き合うことの概念も変わり、お寺と僧侶が担うことも変わるでしょう。“三回忌以降、法事を勤めない人が増えてきた”などというレベルの問題をはるかに超えた、大きな変化の波がやってきます。
お寺が淘汰されていくのは間違いありません。しかし、仏法の根本、自然(じねん)の理は変わりません。だからこそ、お寺も僧侶も仏教も時代に合わせてトランスフォーム(変換)する必要がある。私が業界を変えるわけではありません。時代が明らかに変わっていくことを認識しながら、ご縁を作っていく縁結びのような役割だと思います。この業界には、横につないでいくアメーバのような人がいなかったのかもしれません」
お寺を取り巻く危機感が生まれつつあるこの時代に登場した、ひとりの僧侶。人は「これでいいじゃん」と思う時には動かないが、今は絶好のタイミング。アメーバ僧侶が今ほど必要とされているときはない。
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