寺カフェをご存じだろうか。文字どおり、寺直営のカフェのことだが、一般的なカフェと違う点は多々ある。写経も出来るし、お坊さんに悩み相談もできる。1日3回、お念仏も唱えている。お坊さんと一緒にお酒を飲みながらいろんな話ができる“坊主バー”も。それにしても、淺野弘毅住職はなぜ“カフェ”を出すことを思いついたのだろうか。
寺が人を待つのではなく、寺が街に出る
「『まことに現代人は情けない』とおっしゃる住職さんがいらっしゃる。お寺に足を運ばないことを嘆いているのですが、今の世の中、お寺に人が来ないのは当たり前。法要以外、用事がないんですから。継承するお墓もなければなおさらのこと。『お寺に人は自然に集まるもの』と考えるほうが間違っていると私は思っています。だから私たちが街に出たんです。辻説法ですよ」と淺野氏は話す。
寺カフェの経営はようやく軌道に乗ってきたが、そもそも布教は儲かるものではない。それでも、仏教によって救われる人がいるならば、と淺野住職はカフェという形で布教することを選んだ。
実家がお寺で、父が住職という環境であれば、おのずと自分の将来も決まる場合が多い。川崎にある信行寺で住職を務める淺野氏もその一人だった。しかし、本人は望んでいたわけではなかった。大学を卒業後、銀行に勤め、その後はさまざまなビジネスを行っていた。ところがある日、父から僧侶への道を約束させられる。その条件としてアメリカにしばらく滞在することが許された。淺野氏は「ガゼーボ」というお店を経営するホストファミリーに、お世話になるお礼としてお念仏を教えていた。そのことは、帰国後すっかり忘れていたという。
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