そもそもその昔に思い描いていたとおりの人生を送れる人なんて、そうはいません。なぜならば、自分自身が将来を思い描く前提となる外部環境だけでなく、自分自身の価値観も人生観も変わるからです。
そして当時、思い描いていたよりも現実や現時点での夢がどんどん大きくなるか小さくなるかは、ひとえに本人の日々の生き方次第です。
前者の外部環境はわかりやすいでしょう。
勤務先だけでも、一生同じ会社に勤めようと思ったけど倒産しちゃったとか、英語がダメだからドメスティックな会社でと思ったら外資に買収されて英語が必須になったとか、もはや先が読める時代ではありません。
10年経てば価値観も変わる
そして後者の自分の価値観や人生観も10年間も変わらないというのは、かなりの信念の強さの持ち主か、よほどの鈍感かのどちらかです。10年というスパンを考えると、むしろ鈍感の可能性のほうが高いでしょう。
私はいわゆる就職氷河期に社会に出ていますが、その際に同級生や同世代の間ではフリーターで一生食っていくことにかっこよさを見いだし、サラリーマンはダサいという価値観を持っている人たちが少なからずいました。
「組織に属するんじゃなくて、俺らしくフリーに生きたいんだよ」と、一見、もっともらしいことをなぜか遠目で語っていたわけですが、それから20年近くを経て当時の信念を貫き通している強者はあまりいません。
「日本はスケールが小さくて俺の居場所はないな」とのたまい、卒業後、すぐになぜかまた勉強しに海外留学をした人もいましたが、親のカネで海外に行っても自分を探せるわけもなく、あえなく玉砕し、「居場所はない」ということだけは正しかったという例も多くあります。
リーマンショック前には学生の間、とりわけ女性に「外資外資」を連発する外資至上主義も多数存在していました。何の経験も知識もなく、一部の未確認情報を基に、日系企業では若くして活躍できないから外資のほうが職場として優れている、という前提に立っていたわけです。
こちらもそれから時が経ち、大きく価値観が変わった感は否めません。
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