「つられ笑い」できない人に迫る、精神の危機 心と体から「ゆとり」が失われていないか

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こういう生きるうえでの「柱」を持っていないと、人間というのはどうしても、不安にさいなまれやすくなります。それは結局のところ「何も信じていない」人間は、「無意識の信仰」に取り憑かれやすいからです。

そもそも私たちは「なぜ働くのか」「なぜ生きるのか」という問いから完全に目をつぶったまま生きていくことができない生き物です。ですから、目に見える答え(=信仰)を持たない人間は、一見、信仰の縛りから自由になっているように見えて、気づかないうちに「無意識レベルの信仰」に支配されることになる。それはたとえば、見るもの、触れるものすべてを疑おうとする懐疑主義や、単純な理屈によって世界のすべてを説明しようとする、短絡な論理主義といったものです。

こうした無意識レベルの信仰の厄介なところは、自分が何を信じているのか、ということを認識しづらい点です。自分が何を信仰しているかを知っている人は、その対象との距離感を意識することができる。しかし、無意識レベルの信仰の中で生きている人は、自分が信じているものを社会の真実だと信じて疑うことができなくなるんです。

無意識レベルにあるかたくなな信仰をほぐすには

実はこのことが「つられ笑い」が生じるゆとりを、私たちの心と体から奪ってしまった大きな要因となっているのではないかと僕は思うんです。

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わかりづらい話で申し訳ありません。少し具体的なレベルに引き戻して、結論を申し上げましょう。私たちに必要なことは、自分が何を信じ、何をよすがにして生きているのか、ということをしっかりと認識しておくこと。そのうえで、体をほぐし、心を落ち着け、明るくしていくこと。この2点だと思います。

もちろん、朝早く起きて身体を動かし、ほぐしておくことだけでも、やわらかな体、余裕のある心を育むうえで、かなりの効果があるでしょう。しかし、それだけでは、自分の無意識レベルにあるかたくなな信仰をほぐしていくというところまでは届きにくい。それをほぐしていくためには、いかに生きるか、何のために生きるのかという「学び」が必要なのです。

今、多くの方々が「仏教」に関心を寄せていると聞きます。その理由も、もしかするとこのあたりにあるのかもしれません。自分たちはなぜ生きているのか。なぜやがて死ぬ運命にありながら、日々を生きているのか。その問いの答えに、真剣に向き合いたい。そういう思いを持つ人が増えているのではないでしょうか。

空海は繰り返し、繰り返し、「学問」と「行」は仏道修行の両輪であることを説いています。自分の外側にある目指すべき道、頼るべき柱を知ると同時に、自分の内側を日々の行によって磨いていくということ。それこそが、「つられ笑い」を失った体と心に求められていることだと思うのです。

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名越 康文 精神科医

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なこし やすふみ / Yasufumi Nakoshi

1960年、奈良県生まれ。精神科医。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)にて、精神科救急病棟の設立、責任者を経て、99年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。
著書に『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』(角川SSコミュニケーションズ、2010)、『毎日トクしている人の秘密』(PHP、2012)、『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』(医学書院、2012)、『驚く力 さえない毎日から抜け出す64のヒント』(夜間飛行、2013)などがある。
夜間飛行よりメールマガジン「生きるための対話」刊行中。オフィシャルウェブサイトはこちら。twitterはこちら

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