勝ち組負け組の対立を通して、人間のアイデンティティの拠り所はなにかを表現したかった--映画『汚れた心』ヴィセンテ・アモリン監督
1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し、全面降伏したことで第二次世界大戦は終結した。しかし、戦後、日本の裏側にあるブラジルの日系移民のコミュニティでは異なる情報が蔓延していた。多くがポルトガル語を理解できなかったため、日本が戦争に負けたことを理解できていなかったのだ。さらに、日系移民たちは「臣道連盟」という組織を結成し、日本の敗戦を説く日本人を「国賊」として排斥、殺害するまでに及んだ。
これまで、日系ブラジル人の間でも長い間封印されてきた歴史の事実に光を当てたのがユーロスペースほか全国順次公開中の『汚れた心』だ。
物語はブラジルの小さな町で写真店を営むタカハシ(伊原剛志)とその妻ミユキ(常盤貴子)の視点で描かれる。「日本は勝った」を強く信じ続けるワタナベ元大佐(奥田瑛二)は、敗戦を唱える日本人を粛清、タカハシはその殺害グループに荷担する。タカハシと妻、そして日系移民たちの、心の溝が深まる様を描き出す。そして、この戦後の悲劇を通して、人のアイデンティティは何かを問う。
この映画のメガホンを取ったのが、ブラジル人のヴィセンテ・アモリン監督だ。来日した監督に、作品への思いを聞いた。
--『汚れた心』には原作があると聞いていますが、原作を読まれたとき、どんな気持ちになりましたか?
原作自体はノンフィクションエッセイなので、ストーリーがあるわけではない。でも私は本を読んですぐに勝ち組・負け組の対立に魅了されました。そして本の中で扱われている要素で映画が作れるのではないかと考えた。アイデンティティをテーマにした映画を作りたいという気持ちが以前からありましたが、この話ならば娯楽性や感動を与えることもできると思いました。
勝ち組負け組の対立を通して、人間のアイデンティティの拠り所は何かを表現したかった。そして映画を通して人を許す心や人種差別について考えるきっかけになればいいと思いました。時代ものの映画は現代に呼応するものでなければ作品を作る意味がないと思っていますが、1940年代のブラジルの日本人コミュニティで実際に起きたこの話の問題意識は、現代でも通用するテーマです。