勝ち組負け組の対立を通して、人間のアイデンティティの拠り所はなにかを表現したかった--映画『汚れた心』ヴィセンテ・アモリン監督
--アイデンティティという話で、戦時中の日本では、天皇陛下は神であり、日本人は天皇陛下のために血を流し、出征していったという歴史を持っています。映画を製作するにあたり、戦時中の日本のアイデンティティをどう分析しましたか?
昔から日本の文化に興味をいつも持っていて、映画や本の中から日本人のアイデンティティについて学んできました。フィクションですが、村上春樹や三島由紀夫の作品から「武士道」や「葉隠」といったことを学びました。ブラジルの日系2世の友人たちとも、その問題についてたくさん議論しています。
どの文化においてもアイデンティティというテーマは同じですけれども、よりピュアで純粋なものが、日本文化の中に表れていると思うんです。それが、第二次世界大戦の直前の段階において、特に純粋に表れているような気がします。
日本の故郷を離れた日本人のコミュニティは、ブラジル政府やブラジルの支配社会からいろんな抑圧を受けて苦しんでいました。だから、自分たちのアイデンティティを保つことが生きていくためには不可欠だったと思います。
同時に興味深いのは信仰。彼らの信じる力、「大和魂による忠誠」ですね。それを利用したいと考える人たちによって、悪いほう、誤った方向に導かれてしまった。もちろん、いい面もあります。大和魂を持つこと、信仰することは良いことです。そのアイデンティティ自体は悪くはない。それをどう使うかが問題なのです。
--劇中でも、敗戦後「日本は戦争に勝った」と主張するワタナベ元大佐がその例だと思います。
しかし、ワタナベ元大佐にも「良い」理由があったと思います。彼の願っていたことは必ずしも悪いことではない。間違ったのは、その願いを果たすために使った手段だと思います。それが考える上で大事な点だと思います。彼は邪悪なキャラクターではない。