26歳でホンダを辞めプロ野球に挑む男の真実 安定は捨てられても、「夢」は捨てられない

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「一般サラリーマンの生涯賃金を3億円としよう。もしプロで同じ額を稼ごうと思っても、10年間続けて3000万。税金で半分取られることも計算したら6000万ないと負け。プロの平均在籍年数は9年、引退年齢は29歳、平均年俸は3800万。1億円プレーヤーになっているのはほんのひと握りだよ。それでもプロに行きたいか?」

長谷川監督はかつてホンダ野球部で活躍した後、エリートサラリーマンとして社業でも活躍した。自ら海外駐在の希望を出してアメリカ・オハイオ州で部品調達の業務に従事し、帰国後は管理職として大きなプロジェクトのリーダーを任されたこともある。

「社業に専念し始めた頃は、右も左もわからない状態で夜の海に飛び込むような戸惑いがありました。でも、野球も社業も一生懸命やることは同じ。ボールが部品に変わるだけで、一生懸命やっていれば周りが助けてくれるものです」

会社員としてのやりがい、喜びも知る長谷川監督だが、かつては自身もプロからの誘いを受けて「自分の実力では無理」と断った過去がある。今でも「社会人に残っておいてよかった」と後悔はまったくないという。

夢と現実、部員の選択は

夢を追うか、現実に生きるか。しかし、長谷川監督がいくらプロ球界の厳しさを説明しても、ほとんどの部員は「夢」を取るという。それはまた、阿部も同じだった。

「リスクを回避してばかりいた僕でも、子供の頃から『プロになりたい』という一本の芯がずっとありました。ほかの芯は折れてもいいから、この芯だけはリスクを考えずに追いたい。大卒4年目の僕を評価してくれる球団があるということ自体、ありがたいことです。人生は1度きりなので、プロに行かないで後悔するより、行って後悔したいんです」

長谷川監督もまた、「プロに行きたい」という選手の心情は理解している。

「厳しい世界ですが、最終的に決断するのは選手です。それに、ホンダという会社自体、夢を語ることで大きくなった企業ですから。野球部もそういうスタンスです」

夢を追い、26歳になる年に、ようやく扉をこじ開けた阿部寿樹。あこがれの世界に一歩踏み出す前の心境を聞いても、「不安のほうが大きいですけど、やってみなければ何もわからない」と相変わらず威勢のいい言葉は聞かれない。それでも、「不安だからこそ、練習ができますね?」と聞くと、阿部はニコッと笑って、こう言い切った。

「練習できなくなるときは、僕の野球が終わるときです。腹をくくってやります!」

菊地 高弘 編集・ライター

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きくち たかひろ / Takahiro Kikuchi

1982年生まれ。雑誌『野球太郎』(廣済堂出版)の編集部員を経て、2015年4月よりフリーの編集兼ライターに。野球部員の生態を分析する「野球部研究家」としても活動しつつ、さまざまな媒体で選手視点からの記事を寄稿している。著書に、あるある本の元祖『野球部あるある』(「菊地選手」名義/漫画 クロマツテツロウ氏、新装版が集英社から発売中)がある。Twitterアカウント:@kikuchiplayer

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