「だから街は静かなんです」 ラブホ密集の色街なのに「実は住むのに穴場」と言える実態 山手線でもっとも空いている駅で見つけた驚きの住み心地

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昭和54年にオープンしたレストランQ。以前は別の場所にあったが、20年ほど前に、現在の場所に越してきた。店内の壁は店を訪れた著名人の色紙で埋め尽くされている。カニクリームコロッケ、ハンバーグステーキ、チキンカツなどなど、昔ながらの洋食がお手軽価格で楽しめると大人気だ。この日はハンバーグとクリームコロッケの定食(1000円)をいただいた。

ハンバーグとクリームコロッケ定食(
ハンバーグとクリームコロッケ定食(筆者撮影)

「昔ながらの手作りの味を届けたくてね。クリームコロッケなんて6時間くらいかけて作ってます。子どものころに食べた味に近いと、人は美味しく感じるんですよ。そういう料理を作りたいって思っています」(本部さん)

鶯谷にラブホテルが多い理由

そもそもなぜ鶯谷には、ラブホテルが多いのか。これには、いろいろな説がある。街の人たちに聞くと「お妾(めかけ)さん説」をとる人が多い。ある住人はこう言う。

「江戸時代は加賀藩前田家の広大なお屋敷があった。明治になって、藩がなくなった。土地が空いてるから、新政府のお偉いさんがお妾を住まわせるようになったんだね。当時は政治家が愛人を持つことは普通だったから」

確かに子規も〈妻よりは 妾の多し 門涼み〉という句を残している。江戸から明治・大正にかけて、実際にお妾さんがたくさん住んでいたのだろう。

「で、そんな女性たちが、アルバイトとして宿をやるようになって、それが今のラブホにつながっているんだ」(前出の住人)

この「お妾さん説」は、政府のお偉いさんが、明治の文豪になったり、日本橋界隈の金持ちになったりするものの、ストーリーはだいたい同じで、信じている人は実際に多い。しかし、第2次大戦でこの周辺は焼け野原になっている。お偉いさんの愛人がアルバイトで宿を始めるようなことは皆無ではないが、実際にはあまりなかったのでは、と私は思う。

戦後に遊郭の規制が厳しくなったことで、上野周辺で連れ込み宿(今で言うラブホテル)が繁盛した。それが隣町の鶯谷に進出し、定着した──。以前、先輩の風俗ライターが語っていた説だ。面白くはないが、たぶんこれが真相なのだろう。

「ラブホテル」と「歴史・文化」。まったく異なる2つの顔を持った街。鶯谷のことを、初めはそう考えていた。しかし、今は少し違う。ここは江戸のころから、お妾さんやそこに通う旦那衆、文人墨客がひっそりと暮らす、のどかな土地だった。住民の話を聞くにつれ、そんな景色が頭のなかにわいてきた。ラブホと歴史文化はそんなに遠い関係じゃない。鶯谷は誰もがひっそり住める、ちょっといい街だ。 

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