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「だから街は静かなんです」 ラブホ密集の色街なのに「実は住むのに穴場」と言える実態 山手線でもっとも空いている駅で見つけた驚きの住み心地

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鶯谷は地名ではない。古くから谷中・根岸界隈の通称として使われてきた。ちなみに鶯谷駅が開業したのは明治45年7月11日だ。それより200年以上前の元禄年間(1688~1704年)、駅の南側にある上野の寛永寺(台東区上野桜木1-14-11)の貫首(かんじゅ)という住職が、大量のウグイスを放ったことから、この地に鶯谷の通り名が広まった、らしい。

貫首は京都から来たお公家さんだった。なにごとにつけ、江戸と京都を比べる貫首は、江戸ことばを嫌った。「江戸のウグイスは、鳴き声がなまってはりますな」といって、京からわざわざ数千羽のウグイスを取り寄せた。そんな落語のような話が伝わっている。

ラブホ街の真ん中に残る「近代文学の聖地」

鶯谷駅の北側周辺は東京都台東区根岸だ。江戸時代は田園地帯で「根岸の里」と呼ばれ、実際にウグイスの名所だったという。駅から歩いて数分の場所に、現代俳句の先駆者、正岡子規が暮らした子規庵がある。子規は1902年(明治35年)に34歳で亡くなるのだが、晩年の8年間をここで暮らした。現在は東京都指定史跡の記念館となっている。ホテル街を縫うように歩いて訪ねた。

一般社団法人 子規庵保存会が運営する子規庵の入館料は500円(筆者撮影)
子規庵、向かいに書道博物館も見える(筆者撮影)

子規の句にこんなのがある。

〈雀より 鶯多き 根岸かな〉

明治になっても一帯はウグイスの名所だったようだ。

また、ここら一帯は、日本の近代文化にとって重要な場所だ。子規庵の真向かいには、明治から昭和にかけて、洋画界と書道界の分野で大きな功績を残した中村不折が創設した書道博物館がある。中村不折は夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵を描いた人物としても知られる。漱石は子規とも深い交流があった。

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【司馬遼太郎が『坂の上の雲』で書いた子規の住まいの様子】

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