御徒町に「インド人宝石商」が100軒も集まる理由、世界シェア9割のダイヤ加工国でジャイナ教徒が守り抜く"信用第一のビジネス事情"

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そんなインド人が御徒町に急増したのは1980年代のバブル期。もちろん日本の好景気に惹かれてのことだ。そのための下地がすでに御徒町にはあり、先駆者もいた。

「バブルの頃は夜中の12時、1時まで店が開いていたって先輩たちから聞きましたよ」

デパートなどに販売する仕入れ業者が、きらびやかな街を深夜まで行き交っていたそうだ。

商品
基本的に業者相手のビジネスだが、お店には小売りの商品も並ぶ(写真:筆者撮影)

インドでも宝石商として名高いジャイナ教徒とは?

「うちはもともと、語学に縁のある家庭だったんですよ」

ラジェンドラさんは思い返す。

「父が国会議事堂に勤めていて、英語とヒンディー語の同時通訳の仕事をしていたんです。兄もそう」

だからしぜんと、語学に親しみを感じるようになる。そして父が「これからインドと日本の関係はもっと良くなる」と語ってくれたこともあって、大学生のときに現地の日本大使館が運営する日本文化情報センターで日本語を学び始めた。

「そこには日本人もけっこう出入りしていたんですよ。彼らと話したり、一緒に食事したり」

ときには家に招かれたりすることもあって、そういうときによく日本の歌を聴かされた。

「中森明菜、チェッカーズ、石原裕次郎。美空ひばり、千昌夫、北島三郎……」

懐かしい歌手の名がスラスラ出てくる。ラジェンドラさんはとりわけ演歌が好きだった。

「まだそれほど日本語がわからないときだったけど、聴いていると意味がなんとなくわかる」

演歌には文化を超えた情感があったのだ。

さらに日本語を磨き、日本人との交流を深めたラジェンドラさんは1990年に初来日。そしてインドで大学を卒業後、25歳のときには自らの会社を設立し、宝石ビジネスの世界に入った。親戚に宝石を手がける人が多かったからだ。

「初めての仕事はね、大阪のお客さまに宝石を輸出したんですよ」

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