老舗の下町工場、町を離れたら元気になった 田舎に移転すれば、社員もハッピーに

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確かに、海は見えるし、スポーツはできるし、楽しそうですが、実際のところ、社員さんは最初、戸惑ったんではないやろか。そんな疑問を社員さんにぶつけてみました。

「確かに最初は、どうしようか迷いました。転職も考えました。でも、嫁さんが行ってもいいと言ったので、こちらに来ることにしました」と技術部の社員さん。ただ最終的には、子供さんが友達と離れたくない、ということで、単身赴任になりました。

単身者の家族が泊まれるゲストルームも用意

広いゲストルームも用意

そんな社員のために社員寮を準備。ロッジ風の建物にはサウナ室も完備しています。単身者の家族が気軽に泊まれる広いゲストルームも用意しました。

朝と夜は、寮に併設された食堂で食事できます。インドアのゴルフ場、ビリヤード、ダーツ、さらにはホームシアターまでそろっています。

種々の事情で、200名の社員のうち10名ほどは転職したそうです。でもほとんどの社員は、50キロ離れた淡路での本社勤務を選びました。半分が単身赴任、半分は2時間ほどかけて通勤しているそうです。

古市尚社長は海外経験が豊富だ

古市社長は海外経験が豊富で、ミシガン州立大学日本同窓会の幹事や、大阪日米協会の理事などもされています。その国際的感覚から、この移転を決断したと言います。

「米国の企業では遊びの中で仕事をしています。日本の若い人にも、楽しい環境と仕事を共感してもらい、研究開発のレベルアップをしてもらいたい。そして、自然と共生しているという企業運営のハードを発信して、将来的な人材確保にもつなげたいと思っています」

大阪の町工場が淡路の街づくりに貢献し、地方創生のモデルになろうと頑張っているのです。新天地で、若い力が当社のビジネスを力強く引っ張って行ってほしいと思います。

竹原 信夫 日本一明るい経済新聞 編集長

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たけはら のぶお / Nobuo Takehara

有限会社産業情報化新聞社代表取締役(日本一明るい経済新聞編集長)。1971年3月、関西大学社会学部マスコミ学科卒、同年4月にフジサンケイグループの日本工業新聞社に入社。その後、大阪で中小企業担当、浜松支局記者などを経て、大阪で繊維、鉄鋼、化学、財界、金融などを担当。1990年4月大阪経済部次長(デスク)、1997年2月から2000年10月末まで大阪経済部長。2001年1月に独立、産業情報化新聞社代表に。年間約500人の中小企業経営者に取材、月刊紙・日本一明るい経済新聞を発行している。
 

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