《ミャンマー軍事クーデターのその後》住居、仕事、お金、すべてを奪われても不服従運動を続ける市民たち─死も「怖くない」と語る彼らの"胸中"

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ミャンマーの壁
クーデター後、軍事政権に反対する落書きが街じゅうの壁に書かれていた。クーデターから数カ月がたち、そのほとんどは軍によって黒いインクで塗りつぶされたが、路地裏にはときどき軍の目を逃れた落書きが残っていた(写真:2021年10月9日、筆者撮影)
2021年2月にミャンマーで軍事クーデターが起きてから、人々は民主主義と自由を奪われた。最初は徹底した非暴力で抵抗を示した市民だったが、無慈悲なことに、軍はそんな市民たちを虐殺し始める──。
当時、国際開発の仕事でヤンゴンに住んでいた西方ちひろさんは、自身が目の当たりにした民主化闘争をリアルタイムでSNSに投稿し、子どもたちの未来のために自由と民主主義を命懸けで取り戻そうとする市民の様子を発信した。初著書『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』では、西方さんの投稿を加筆修正し、クーデター後1年間の様子が丁寧にまとめられている。
この記事では、安全や日々の生活が脅かされ、所持金が底をつきながらも、CDM(Civil Disobedience Movement、不服従運動)に参加し続け、希望を捨てない市民たちの心の声をお届けする。

保健省で働いていた医師の語り

「まさか21世紀に、こんなバカみたいなことが起きるなんてね」クーデター以前、首都ネピドーの保健省でエリートコースを歩んでいた医師は、そう言っておどけたように目をクルクルさせた。

彼女がCDMに参加したのは、クーデター翌日の2月2日。

CDM、市民的不服従運動とは、不当な権力からの命令に対して、良心に基づき、公然と違反する行為だ。クーデター直後から、国中の公務員たちは「公正な選挙で選ばれた政権のもとでしか働かない」と宣言して、一斉に職場を去っていた。

「本当なら初日からCDMを始めるべきだった。でもその日、ネピドーでは早朝からインターネットも電話もつながらなくて、クーデターなんて全然知らなかったんだ。お昼前に、人づてにやっと何が起きたか知った。なんてバカなことを! と腹が立って仕方なかった」

CDMに参加後、彼女は公務員用宿舎で暮らしながら、ネピドーでデモなどの抗議活動に参加していた。しかし1カ月ほど経つと、軍からCDM参加者に「○日までに職場に戻れ」という圧力がかかり始めた。

このまま宿舎にいれば、いつ軍に踏み込まれるかわからない。身の危険を感じた彼女は、身の回りのわずかな荷物を持ってヤンゴンの実家に逃れることにした。

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