《ミャンマー軍事クーデターのその後》住居、仕事、お金、すべてを奪われても不服従運動を続ける市民たち─死も「怖くない」と語る彼らの"胸中"
それだけじゃない、ともう1人が言葉を被せる。「民主化してから、正しいと思ったことを口にできるようになったんだ。軍政時代にはどんなに正しいことでも、ルール違反だと言われて処罰の対象にされることが、いくらでもあった。もちろんNLD政府だって完璧ではなかったよ。
いつだったか、他の部署に届くはずの大量の長靴やレインコートが、全然関係ない自分の部署に届いて途方に暮れたこともあった。だけどそんなとき僕たちは、上司に文句を言えたんだ。上司が聞いてくれないときは、その上の人に。処罰は一切なかった。わかるかい? 僕たちはNLD政権下で、初めて意見を言えるようになったんだ」
こうした話は、別の友人からも聞いたことがある。
「軍政が終わって、民間のメディアができたでしょ。そのメディアが政府を批判するの。最初はびっくりしたよ。すぐに潰されると思った。でも、その会社は何カ月たっても、相変わらず批判を続けていた。それで、あぁ、政府に文句を言っても大丈夫なんだ、ってわかってくる。そうやって私たちは少しずつ、人権や自由ってことを学んできたの」
家も仕事もなく、公立病院にもかかれないという現実
強い意志でCDMを続ける鉄道員たちだが、その暮らしは厳しい。目下の問題は、住む場所だ。公務員宿舎を追い出された彼らには、家がないのだ。家を借りるには、もちろん金銭的なハードルもあるが、問題はそれだけではないという。
「大家さんにとって、見知らぬCDM参加者に家を貸すのはリスクでしかないんだ。僕らを追ってきた兵士が家に侵入してきて、部屋を破壊するかもしれないからね」
また、仕事がないのも辛い、と彼らは言う。雇用主も大家と同じで、軍の標的にされているCDM参加者を雇うには、それなりの覚悟が必要なのだ。結局、彼らは20年ものキャリアをもつ技術職であるにもかかわらず、フードデリバリーをしたり、道端でミネラルウォーターを売ったりして日銭を稼いでいる。
もう1つ深刻なのは、公立病院にかかれないこと。生活に余裕がない彼らにとっては、診療費のかからない公立病院がほぼ唯一の選択肢だ。しかし、公立病院はすでに軍の支配下にある。


















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