「あまりに個性的すぎる団地が完成」 長野五輪「元オリンピック選手村」30年後の現在…《今井ニュータウン》を訪ねて見た"驚く光景"

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主導するコミッショナーを補佐し設計者とつなぐ「デザイン調整チーム」、色彩・環境・住宅計画・福祉・造園の分野の専門家らの「アドバイザー」、そしてマスタープランやガイドラインを踏まえて各工区の設計から監理まで行う「建築設計者」によって、都市と住宅のデザインと設計が進められた。

今井ニュータウン
中央の広場には、五輪マークが刻まれている(写真:筆者撮影)

さらに特筆すべきは、設計者の人数である。

世界にアピールできる選手村であり、先進的なニュータウンの計画だ。設計者は全国から実績のある建築家が選ばれた。また、住宅に地域性を反映させるため、地元の設計者の参加も多数募った。

当時よく見られた、複数の建築家が関わる形式を取り入れ、7つの工区ごとに共同企業体(JV)を組む方針をとった。

工区それぞれで中心となったのは、新居千秋さん(A工区)、長谷川逸子さん(B工区)、内藤廣さん(C工区)、富永譲さん(D工区)、松永安光さん(E工区)、元倉眞琴さん(F工区)、遠藤剛生さん(G工区)の全国的に活躍する7名の建築家だ。

そこに地元3社が加わり、7工区28の設計者が直接関わったことになる。

そんな設計者とコミッショナー、デザイン調整チーム、アドバイザーは、「UD会議(アーバンデザイン会議)」で検討を重ねた。50名にもなる大所帯だったという。

今井ニュータウン
UD会議の様子。大きな模型を囲んで計画の調整を行う(出典:『今井ニュータウン建設記録』)

複雑な調整を経て生まれた「新しいまち」

超多忙な人たちが集まり、顔をつき合わせて話し合う。模型を囲み、課題を持ち帰って検討する。その数は工事完了までに30回を超えた。

コミッショナー体制のもと、複数の設計者が集まる計画は異例だったのではないだろうか。

当時は固定電話やFAXが主流の時代だ。今のようにオンラインで会議をしたり資料をサクッと共有したりすることはもちろんできない。4社JVの体制で動くことの大変さも想像する。

限られた期間で、住棟の設計から、色彩やランドスケープなどさまざまな検討を重ねた計画に、関係者の気概と苦労を感じずにはいられない。

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