「麺はスープより原価が安いから」と言われがちだが…つけ麺「大盛無料ナゼ?」の裏にある奥深い歴史

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いまや“つけ麺=ボリューム満点”というイメージは、つけ麺のひとつの特徴として広く定着している。「大盛・特盛無料」というのは、冷静に考えて大盤振る舞いしているようにも思える。

この文化はなぜ、どのようにして生まれ、広まったのだろうか。

大ボリュームの理由は「俺が足りないから」

つけ麺の発祥として広く知られるのが「東池袋大勝軒」である。

1961年創業で、店主・山岸一雄さんが考案した「特製もりそば」は現在でいう、つけ麺の元祖ともいえる存在だ。当時からなみなみと盛られた極太の自家製麺に、甘酸っぱい濃厚なつけ汁。いまのつけ麺文化の原型を形作ったと言っても過言ではない。

大勝軒
「東池袋大勝軒」の外観(写真:筆者撮影)
「東池袋大勝軒」の特製盛りそば
「東池袋大勝軒」の特製もりそば(写真:筆者撮影)

ではなぜそこまでの量になったのか。生前の山岸さんに話を聞いたことがある。その時の言葉が非常に印象的だった。

「俺が足りないからだよ」

そう笑いながら語った山岸さんは、体格も立派で、人柄も温かく、「安くお腹いっぱいにさせたい」という信念が言葉の端々からにじんでいた。

実際、大勝軒では開業当初から「満腹」をコンセプトに掲げていたわけではない。むしろ、常連客の要望や、学生街という立地、そして山岸さん自身の「俺が足りない」という感覚が重なり合って、自然と麺の量が増えていったのだ。通常のお店では2玉に近い量が“並盛”と呼ばれるようになり、それが大勝軒のスタイルとして定着していった。

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