「私自身」が宇宙の中心にいる? 138億年の宇宙史から「人間がここに存在する意味」を見ていくと驚愕の事実が判明

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そして、このことについて引き合いに出されているのが、彼が1981年にイエズス会主催の宇宙論会議に出席した際の講演内容である。

ホーキングの講演の内容は「時間と空間にははじまりがないのかもしれない。つまり、神による創造の瞬間だといえるものじたいがなかった可能性がある」という内容だった。
ホーキングは「ビッグバン以前」を語ることはできないと考えた。これは、北極が「地球の果て」ではないのと同じだ。(35ページより)

ホーキングが提示したこと

つまり、こういうことだ。

私たちは北極を“1つの終点”と認識しているが、実際にはそうではない。地球上のある一点から出発し、北極に向かってまっすぐ歩いていくとする。

その際に私たちは、極点に近づくほど、“なにかの終わり”もしくは“なにかのはじまり”、すなわちゼロになる場所に向かっていると感じるだろう。

ところが、ようやく北極にたどり着いたときに気づくことになる。北極が地球の表面に存在する別の地点と同じく、単なる“1つの地点”にすぎないということに。

全人類の教養大全0
(図解:『全人類の教養大全0』より)
ホーキングは虚数時間という数学的な概念を導入することで、はじまりと終わりという特異点を持たない、ゆるやかな宇宙の時間について考えることが可能になると言ったのだ。(36ページより)

このホーキングの例だけではなく、宗教がある一定の先入観と偏見に基づいて科学の成果を否定したり抑圧してきたというのは事実かもしれない。
しかし同時に、前述したルメートルの例を見れば、科学のほうも宗教を毛嫌いしているように見えるだろう。

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