貧しいのに客人をもてなすーーケニア人の「持たない豊かさ」が教えてくれること。日本人と異なる"所有"の感覚、その驚きと心地よさ

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アフリカの家族
ケニアにあるジョセフの実家で、1プレートに載ったチキンを大人数で囲んで食べた思い出(イラスト:堀江 篤史)
たった1人との会話が、世界の見え方を変えることがあるーー。連載「80億分の1コマ」はノンフィクションライター・泉秀一さんが国内外で出会った人々とのワンシーンを切り取り、そこで得た気づきを深掘りしていくシリーズです。

小さな1コマから見えてくるのは、地域や国の課題であり、豊かさの定義であり、人が生きることの本質。「80億分の1の人生」が持つ視点から、カジュアルに社会を見つめます。

ケニアのランナーの実家を訪ねて

2025年1月、ケニアの田舎町を取材で訪れていた。ナイロビから車で2時間ほど北に向かい、舗装が途切れた赤土の道をさらに進む。取材の目的は、箱根駅伝やニューイヤー駅伝で走るケニア人ランナーたちの暮らしを知ることだった。

ムモ・ジョセフ、27歳(当時)。2025年春から日本の実業団チームに所属することが決まり、ケニアで練習を続けながら来日の日を待っているランナーだ。

ジョセフ(左から二番目)と家族
ジョセフ(左から2番目)と家族(写真:筆者撮影)

彼の故郷であるカエワの村へ向かう道中、ジョセフはなぜか落ち着かず、何度も後部座席から話しかけてくる。

「僕の地元に日本人が来たことなんて、たぶん一度もないよ。だから今日はね、家族みんな呼んでおいたんだ」

「みんな?」

「母、姉、叔父、叔母、姉の旦那さんと子ども。それから僕の妻と子どもたち。15人くらいかな。子どもたちは学校を休ませてる」

ケニアの田舎では、家族で特別な出来事が起きると、学校より優先される。私が日本から来たというだけで、祭りの日になったのだろう。

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