細いデコボコ道を進み、背の高い雑草の間を抜けると、ポツンと2つの平屋が現れた。
ジョセフの家族が暮らす家と、母親と姉家族が暮らす家で、どちらもコンクリートで造られた素朴な建物だった。
2つの家の間を、小学生くらいの子供たちが大声を上げながら駆け回って行き来している。全員で15人ほどおり、ジョセフや彼の兄妹の子どもたちもいた。自己紹介をし終えると、すぐに母親が言った。
「まずはご飯にしましょう」
案内されたのは、母親の家のリビングだった。6畳ほどの部屋に、プラスチックの椅子とテーブルが置かれていて、天井からは、太陽光で充電する小さな電球が一つ垂れ下がっていた。母親の家はリビングと3台のセミダブルベッドが1室に配置されたベッドルーム、それに水をバケツで頭からかぶるシャワールームがある。
1人1台のベッドはなく、セミダブルに2〜3人で身を寄せ合って眠る。電気やガスのインフラもなく、水道も使用量を払えずに止まっている。生活に余裕はない。
次々と料理が運ばれてきた。チャパティ、キャベツの炒め物、ジャガイモの素揚げ。そして、大皿いっぱいの骨付きチキンの煮込み。
とても豪華なメニューだ。ケニアの田舎で、肉料理が食卓に並ぶことは珍しい。特にチキンは、ジョセフの家にとっては資産だ。家で鶏を飼育し、普段は食べず、必要になった時に売ったり捌(さば)いて食べたりする。それを客に振る舞うのは、最大級のもてなしを意味していた。
ジョセフが、少し照れたように笑って言った。
「今日はスペシャルなんだよ。家にいた鶏を、お母さんが準備してくれた」
どこか申し訳ない気持ちになりながら、皿のチキンを一口いただいた。とても美味しく、その時のジョセフの家族の笑顔とともに、今でも鮮明に思い出せるほど、深く記憶に刻まれている。
貧しい国ほど「所有」しない
ジョセフの家族が鶏を捌いてくれた背景には、彼の家族の優しさはもちろんだが、それだけでは説明できない、ケニアの暮らしに根づく「所有」への独特の感覚があるように思う。
ケニアの統計上の平均年収は100万円ほどだが、これは給与所得者だけを対象にした数字で、自営業や零細農家の月収はおよそ3万円前後である。
年収にすれば35万円ほどで、定職がない人も少なくなく、生活は総じて厳しい。
こうした環境では、何かを「自分のため」だけに所有し続ける余裕はほとんどない。蓄えがわずかしかない場合、それを自分の家族だけで囲っていても、職がなくなったりインフレで物価があがったりするなどで少し状況が変われば、すぐに生活が立ち行かなくなるからだ。
とにかく、助け合って生きていくしかない。困った時はお互いさまだよというようなスタンスで、だからこそケニアの人たちは、日本人と所有の感覚がどこか異なっているように感じた。
「これは私のものだ」という線引きが、日本よりはるかに薄いのである。



















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