「吉田君、私は君の仕事ぶりは理解している。君の性格的な面も、ある程度は理解しているつもりだ。でも君がどんな性癖を持っているか、そんなプライベートなことは上司の私とてまったく分からないんだよ。もちろん普段の会社での君を見る限り、痴漢なんてするはずがないと思う。でも絶対にしてないと、信じ切ることもできないんだよ」
直人は部長に信じられないと言われて、深い穴の淵に追いやられたような気分に陥った。部長の話を引き継ぐようにして、人事部の女が言う。
「日本の司法では、起訴はほとんど有罪と同義です。起訴されたならば、どこかの段階で氏名と社名が報道されるでしょう。その場合、我が社は吉田さんを懲戒解雇しなければなりません」
懲戒解雇? 私は何もしていないのに、懲罰を与えて戒める解雇──?
平凡なサラリーマンの、平凡な生活をしていただけなのに──?
人事部の女は続ける。
「懲戒解雇の場合、退職金を支払うことはできません。解雇されて、それで終わりです。でも今ならまだ間に合います。自主退職していただければ、退職金も失業保険も得ることができます。この後に裁判が続くとしたら、弁護士費用や、家族の生活のためにも、ある程度の資金は必要でしょう」
直人はパイプ椅子から立ち上がって訴える。
「信じてください! 私は本当に何もしていないんです!」
それ以外の言葉は、何も出てこない。
そして部長と人事部の女は、俯(うつむ)いてそれ以上は何も言わなかった。
無実の罪を着せられたうえ、無職に
妻と相談したのちに、結局、直人は退職届を提出した。
直人は上場企業のトミタ商事の社員であるというプライドも失い、無職という暗い穴に落ちた。



















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