スーパーのシュークリーム《モンテール》"ふてぶてしいピンク顔"の金太郎飴つくる戦後の町工場が【年商318億円】の大企業に成長した裏側

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「製造ポイントを学べるクイズ形式の小冊子を配布したり、ロールスクリーンを使いながらお客様の反応に合わせて説明を行うなど、短い時間でも理解が深まる見学体験を提供しています。こうした工夫を通じて、当社が重視する衛生管理やおいしさへのこだわりを実感していただけるようにしています」(株式会社モンテール 広報チーム 関根裕美さん:以下同)

こうした取り組みにより、見学者からは「衛生基準の厳しさや品質への姿勢を知って、さらにファンになった」「見ていてワクワクするし、スイーツが食べたくなった」という声が多いそうだ。

見学後には、併設されている直売店でお得に買い物を楽しむこともできる。

戦後、金太郎飴をつくる町工場から始まった

モンテールは1954年、東京都足立区で「有限会社鈴木製菓」として創業し、戦後の町工場で金太郎飴など、飴製品を中心に製造していた。

有限会社鈴木製菓として製造していた金太郎飴(提供画像)
有限会社鈴木製菓として製造していた金太郎飴(提供画像)

62年(昭和37年)には、チョコまん(饅頭をチョコレートでコーティングした菓子)を発売。

大ヒットした和洋折衷菓子「チョコまん」(提供画像)
大ヒットした和洋折衷菓子「チョコまん」(提供画像)

当時としては珍しい和洋折衷の菓子が大ヒットし、これを機に64年(昭和39年)に 「スズキ製菓株式会社」へ社名変更、本社屋の新築など事業拡大を進めた。その後、洋菓子への転換を決断。きっかけとなったのが、現在も販売されているバウムクーヘンである。

「2代目社長が新しいお菓子を模索していた頃、結婚式の引出物でいただいたバウムクーヘンのおいしさに深く感動したことが原点です。当時、洋菓子は、ハレの日のお菓子という特別な存在でしたが、これを“毎日でも食べられるおやつとして届けたい”と考え、バウムクーヘンづくりに挑戦しました」

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