西洋哲学の源流はここにたどりつく。不当な判決に異議を唱えず自らの信条のために毒杯を飲むことを選んだソクラテスの生き方とは

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スパルタによる屈辱的な敗北がまだ記憶に新しいアテナイにとって、ソクラテスは信用に足る人間に見えなかった。彼は国を裏切った者たちの師だったから、人々が彼に「アテナイの青年を堕落させた」という疑いをかぶせたのは、当然のことかもしれない。

逃げる手段はいくらでもあった

500人の陪審員が参加した裁判で、ソクラテスは反論の機会を得た。彼と親しかった友人と弟子たちは、彼にアテナイ市民と和解してほしいと望んでいたし、陪審員たちも当然、ソクラテスがそうするだろうと考えていた。

ところがソクラテスは、堂々と自分の主張を通した。許しを求めるソクラテスの姿を期待していた陪審員は、気分を害した。案の定、ソクラテスは死刑を言い渡され、監禁された。

幸いなことに、当時のアテナイの監禁施設の特性、看守を買収すれば簡単に脱出できたし、ソクラテスの友人たちは十分な金を準備できたが、ソクラテスは逃げる気がなかった。嘆き悲しむ友人たちをなぐさめ、自分の信念に従って、平然と毒杯を受け取った。

しかし、ソクラテスはなぜ逃げずに、みずから死を選んだんだろう?

「悪法も法なり」だからだって?

どんなに非合理的な法でも、法だから守ろうとしたと。著者の僕も学生のときに、そう習ったのを覚えている。

けれど、「悪法も法なり」というフレーズは、ソクラテスが言ったのではないという事実がすでに広く知られている。

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