キリスト教の救済観は西方(カトリック教会、プロテスタント教会)と東方(正教会)とでは大きく異なる。西方教会では神が人間になったという受肉を強調する。神は完全無欠で罪を持たない。しかし神は神であり続けることに満足せず、罪を持つので滅びる運命にある人間を救うために一人息子であるイエス・キリストをこの世に派遣した。
イエス・キリストは真の神であると同時に真の人間だ。イエスは食事をし、睡眠を取り、排泄(はいせつ)する。喜怒哀楽もある。その意味でほかの人間と違いはない。ただしイエスは罪を持たない。罪を持たないイエスが罪を持つ人間の身代わりになって死んだ。そのおかげで人間は罪が解消され救われることになったと説く。
共産主義と世俗化された神学
西方教会では「神が人間になった」という上から下へのベクトルが強調される。砂時計モデルだ。神の恩寵は砂時計の砂のように上から下へのみ動き、下から上に動くことはない。砂は上から下に移動するとき、くびれた一点を通る。これがイエス・キリストなのだ。すべての人間はこのイエス・キリストを通してのみ救われるのだ。
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