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「悪である国家が悪を制御する」というソ連の論理 佐藤優の情報術、91年ソ連クーデター事件簿92

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ベルジャーエフは、共産主義者が革命によって平等を実現したことを肯定的に評価する。資本主義の構造は是正されなくてはならない。この意味で、私有財産にしがみつくような反共主義に魅力はない。問題は、共産主義者が建設しようとする社会に、善意ゆえに生じる深刻な構造悪があることだ。この点に斬り込まなくてはならないとベルジャーエフは考えた。

全世界は古い資本主義社会の崩壊へ、これら社会を鼓舞して来たその精神の克服へと動いている。社会主義への動き、すなわち、教義的な意味での社会主義ではなく、幅広い意味に理解された社会主義への動きは、世界的な現象である。

社会の新しい形態、その性格はまだ明瞭でないが、かかる新しい形態へとみちびきつつあるこの世界の危機は、過渡的な諸段階によって招来されつつある。かかる過渡的段階は、編成し統制する国家資本主義といわれる現象である。(ニコライ・ベルジャーエフ〈田中西二郎/新谷敬三郎訳〉『ベルジャーエフ著作集 第7巻 ロシア共産主義の歴史と意味』白水社、1960年、209ページ)

悪によって悪を制御する危険な論理

資本主義が生み出す矛盾を国家の介入で是正しようとする国家資本主義、あるいは国家社会主義的な潮流は歴史の必然であるとベルジャーエフは考える。ベルジャーエフはもともとマルクス主義者だ。マルクス主義が目標としたのは、国家なき社会である。しかし人間は罪を持つ。罪から免れている人間は誰一人としていない。罪が形を取ると悪になる。人間によりつくられた社会にも悪が内在する。そういう社会の一形態が国家なのである。

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