それでもいったんはしぶとく老中主座に返り咲くものの、再任期間は短くあえなく辞職。かつては、将軍の家慶との密談も頻繁に行われたが、復帰後は一度も行われていないことからも、失速ぶりは顕著であった。
若き老中の阿部正弘に幕政を担わせた
失脚した忠邦に代わって、家慶と密談するようになったのが、若き老中の阿部正弘である。
正弘は25歳で老中、27歳で老中首座を務めた若きホープだ。異例の若さで出世を果たすだけあり、諸大名や幕臣たちと協調的な人間関係を築くことに長けていた。
大御所である父の重しがあり、前半は思うような治世が行えなかった家慶。後半は水野忠邦と阿部正弘というタイプは異なるが、実務に長けた人材を老中に据えて、幕政を担わせることになった。
正弘が融和政策によって挙国一致して難局にあたろうとするなか、嘉永6(1853)年、アメリカから黒船を率いてペリーが来航。それからまもなくして、家慶は熱中症により、病床についている。
病床で家慶は、これまでの生涯を振り返ったことだろう。
父の尻拭いをさせられたうえに、諸外国からは開国を迫られるなど、散々な目に遭った家慶。それでも父の死後は、優秀な側近に改革を任せつつ、自身も将軍家の権威を回復すべくいろいろと手を打っており、決して自暴自棄にはならなかった。
江戸幕府の公式史である『徳川実紀』が天保14(1843)年に完成。献上された家慶は、徳川家の行く末を改めて見つめたのではないだろうか。
幕閣が黒船の対応に追われるなか、家慶は61歳でこの世を去ることとなった。
【参考文献】
松平春嶽著、角鹿尚計訳註『現代語訳 逸事史補』(福井県観光営業部ブランド営業課)
久住真也著『幕末の将軍』 (講談社)
北島正元著『水野忠邦』(吉川弘文館)
藤田覚著『水野忠邦―政治改革にかけた金権老中』(東洋経済新報社)
真山知幸著『なにかと人間くさい徳川将軍』(彩図社)
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