離婚率が令和の2倍!朝ドラ「ばけばけ」やたらと離婚&国際結婚が注目の明治結婚事情とは

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史実においても、小泉セツは300石取りの由緒ある小泉家に生まれてまもなく、格下の稲垣家に養子に出されている。鳥取藩士の前田為二を婿養子として迎えて結婚するが、為二は1年も経たずに出奔。その後、セツはアメリカから来日したラフカディオ・ハーンと事実婚状態となり、5年後に正式に結婚を果たしている。

ドラマ通りの激動の生涯を送った小泉セツだったが、明治期の結婚事情をひもといてみると、また違った印象を受けることだろう。

明治時代にやたらと離婚が多かったワケ

なにしろ、明治10年代、20年代は離婚が異常なほどに多い時代だった。

例えば、明治16(1883)年の離婚件数は12万7162件にも上り、人口千対あたりの離婚率は3.39とある。令和2(2020)年の離婚率と比べると約2倍だ。

欧米諸国をみてみれば、明治33(1900)年のデータだと、アメリカ0.70、フランス0.25、イギリス0.02となっている。3.0を前後する日本の明治における離婚率は突出して高いといえるだろう。

明治時代の日本では、なぜこれほどまで離婚が多かったのか。要因の一つとして、明治31(1898)年に民法が施行されるまで、結婚も離婚も慣習的な承認によって行われていたことが挙げられる。

婚姻や離婚に煩雑な手続きがない分、嫁いできた嫁や婿のことが気に入られなければ、追い出すことができた。姑が嫁を気に食わずに「追い出し離婚」へと至るケースが特に多かったようだ。

一方で、法的に守られていないということは、本人が望めば、簡単に離婚ができるということでもある。嫁や婿が自分から出て行ってしまう、いわゆる「逃げ出し離婚」もまた起きやすかった。「ばけばけ」での山根銀二郎はこのケースにあてはまる。

今でこそ「離婚は結婚の何倍も大変」といった経験談が語られたりするが、当時は事情がまったく違ったのである。

そもそも結婚が一大事業というわけでもなかったことが、当時の結婚に至る経緯を探るとみえてくる。

次ページ当時の結婚観がよくわかる話が…
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