「早慶までなら努力でいける」MARCH以上の大学進学者がいない家庭に育った彼が8浪で慶應薬学部に合格するまで

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4浪目に信州大学に合格したよしださんでしたが、「まだ自分は上にいける」と思ったこともあり、大学に籍を置きながら東大を目指し、受験勉強を続ける決断をします。

「ある程度の大学に行くまでは受験を続けようと考えていました。両親は反対することはなくて、『頑張ったらいいんじゃない』という感じで応援してくれました。うちの家系は親族にも高学歴の人があまりいなかったので、自分がより高い学歴を得たいと思ったことも受験を続ける理由になったのですが、経済的な面では心配のない家庭だったのが受験を続けるうえでありがたかったです」

こうして東大を第1志望にして、5浪目は駿台予備学校に通ったよしださん。

着実に学力は伸びていたものの、共通テストが難化してパニックに陥ったこともあり、513/900点に終わり、この年の受験を見送ります。

5浪目に受けた河合塾の東大模試(画像:よしださん提供)
5浪目に受けた河合塾の東大模試(画像:よしださん提供)

6浪目は河合塾で浪人を続行する決断をしたよしださんでしたが、このときくらいから少し考え方が変わってきたと語ります。

第1志望を東工大に変更

「今まで東大以外は考えていなかったのですが、だんだん現実が見えてきて、東京大学・京都大学・東京工業大学のどこかには行きたいと思うようになりました。東工大の模試ではC判定も取れましたし、共通テストを足切りにしか使わないのもあって東工大を第1志望にする決断をしました」

この頃には、夏・秋の全統記述模試で偏差値65程度に到達していたよしださん。10月くらいからは家庭教師のトライの個別指導に通うようになったこともよかったようで、先生の指導がぴったりはまり理科の点数が安定し始めました。

共通テストでは過去最高の629/900点を獲得。確かな自信を持って東京工業大学に出願したものの、結果は最低合格点から69点差で不合格でした。

それでも「頑張れば行けると思った」と語るように、次年度以降に手応えを持って、7浪目も家庭教師のトライの個別指導に通う決断をしました。

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