--なぜアマダを辞めて実家に戻ったのでしょうか。
92年頃、「株式上場するから帰って来い」と言われたのですが、ちょうどアマダに入社して3年目で営業が面白くて仕方のないときだったので断りました。93年3月期には営業成績が全国1位になりましたので、2回目の要請も断りました。
ずっと母が父と僕の間に立ってやりとりをしていたのですが、とうとう3回目に「私、間に入るの疲れたから帰ってきなさい」と母が言い出したのです。母親に言われると弱い。最後は母に説得されて根負けし、93年11月から実家の会社に入社することになりました。
でも、当初実家が何をやっているのかよくわかっていませんでした。地主が土地を出し、われわれが機械を提供し、一緒に駐車場を運営して売り上げは折半するというのがタイムズの始まりです。当時はそれを「パーキングパートナーシステム」と呼んでいたのですが、変わらず機械の販売をやっているものだと思っていたんです。
売るものが工作機械から駐車場機械に変わるだけだろうと思って実家に帰ったわけです。入社10日前に100枚くらいある駐車場の管理表を渡され、そのとき初めて、実家が駐車場運営をやっていることを知りました。
--上場企業のアマダと比較するとギャップがあったのではないでしょうか。
全然違いました。もう一度あの時に戻れと言われたら絶対にいやですね。11月に営業担当として入社し、1月に取締役、2月にはタイムズ事業の責任者をやれと言われました。