先代はずっと「銀行みたいなビジネスがしたい」と言っていました--西川光一・パーク24社長(第2回)

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先代はずっと「銀行みたいなビジネスがしたい」と言っていました--西川光一・パーク24社長(第2回)

--御社の前身は、先代の父・西川清氏が立ち上げたニシカワ商会です。

先代は大学を卒業し、工業用ファスナー会社に9年間勤めていました。ところが、当時僕を含め子どもが3人おりまして、「サラリーマンの給料では食べるのに困る。社長になりたい」と言って、次が決まってもいないのに会社を辞めてしまったそうです(笑)。

それで1971年にニシカワ商会を立ち上げました。その資本金の100万円は先代の貯金ではなく、母が嫁入りしたときの持参金だったと聞いています(笑)。よくいろいろな人に「先代はすごいですね」と言われますが、母がいちばんすごいのではないでしょうか(笑)。母がいなかったら今のパーク24はありません。

先代は体が大きかったので豪快とか親分肌とか言われますが、繊細というか人と違う感性を持っている人だったのではと思います。

脱サラしてとりあえず会社をつくり、何の仕事をしようかとフラフラと街を歩いていたとき、ある商店のシャッターに貼ってあった手書きの「駐車お断り」という貼り紙を見たそうです。それが笑っちゃうくらい汚い字だったらしいのですが、普通の人なら笑って終わりですよね。
 
 しかし先代は、「ここに貼り紙をしないといけないくらい車が停まるのか。しかもこの商店固有の問題ではないのでは」と考え、「駐車禁止」の看板を売り始めたわけです。

飛ぶように売れたらしいです。その頃ちょうどスカイラインが出始めるなどモータリゼーションの普及も肌で感じていたようで、先代は看板販売を機に駐車というものがビジネスになると思ったみたいです。

先代は運もよかった。駐車禁止の看板は重たくて腰が痛くなるし、トラックには30個くらいしか積めず大したおカネにならない。割に合わないと思っていた矢先、あるものに出合ったんです。その頃、日本信号が作り始めていたパーキングメーターです。

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