先代はずっと「銀行みたいなビジネスがしたい」と言っていました--西川光一・パーク24社長(第2回)

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恵比寿にある中華料理屋の1階に日本信号がデモンストレーションでパーキングメーターを取り付けていたのですが、先代はたまたま通りがかってそれを目にし、「これだ!」とひらめいたそうです。

前職では最年少で営業部長になった実績があったため営業には自信があったらしく、このパーキングメーターを売らせてもらおうと日本信号に飛び込んだ。最初は門前払いでしたが何度も足を運び、とうとう先方の担当者が根負けして売らせてもらえるようになったそうです。

当時はある大手商社が代理店をやっていて全然売れなかったらしいのですが、先代は相当な数を売って認められ正式な販売代理店になったと聞いています。

販売代理店になり、先代が最初に目をつけたのは病院でした。

都内の病院の駐車場を調べてみると、8割が病院に無関係な人の駐車だったんです。目的以外の人を排除し、停めた人からは受益者負担で駐車場料金をいただきましょうと提案をしたら、かなりの病院で導入していただけたそうです。

僕も小学校2年生くらいのときに聖路加病院に連れて行ってもらった記憶があります。おそらくそれが、父のビジネスの実際を目の当たりにした初めての経験ですね。

--それから20年間、先代社長はパーキングメーターの販売代理店を続けた後、91年にタイムズ1号店を東京の上野にオープンします。なぜ24時間制の無人時間貸し駐車場を始めたのでしょうか。

1号店は今もありますよ。寶組という倉庫会社さんが、上野の昭和通り沿いに運営していたタカラホテルの跡地です。建て替えを名目に更地にされていたところをお借りしました。

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