以前は同じ江東区の門前仲町に暮らしていた西岡さんが豊洲に移り住んだのは30年以上前だ。当時はもちろんタワマンはなかった。
「この近所には日新製糖とか石川島播磨重工業、ほかにもいくつか工場があってね、その工員さん、あとは商店街で商いをする人やなんかが、この四丁目アパートに住んでいたんですよ。
今でこそ、ここらのアパートも10階以上の立派なものに建て替えられたけど、当時はまだエレベーターのない5階建てのアパートが多かった。ここに来る前は、門前仲町に住んでいたからさ、引っ越してきたときは“田舎だなぁ”って思ったもんですよ」(西岡さん)

かつてはアパートだけでなく、戸建てに住んでいる人も多くいたという。
「銭湯もあったし、豆腐屋、ボタン屋、花屋、八百屋、なんでもありましたよ。長屋のような造りの家もたくさんあった。でも今じゃほとんど残っていないけどね。土地を売って出ていった人も多いよ。そんな人たちが時々遊びに来るんだけど、みんな“浦島太郎になったみたい”って言う。それくらい変わってしまいましたね」(西岡さん)
ただ、おかげで便利になった面もあると、西岡さんは言う。
「20年くらい前からタワマンがどんどん増えてきて、街の様子はがらりと変わった。ここには豊洲商友会という商店街があるんだけど、時代の流れでだんだん店が減ってきてね。でも、ららぽーと豊洲(2006年オープン)ができたし、駅のまわりが格段に便利になった。そういう意味じゃ住みやすくなってきていると思いますね」(西岡さん)
旧住民が住んでいた古いアパートは残っていない。
「エレベーターがないから上の階に住んでいる人は大変だったんですよ。高齢化も進んでいるから、なおさらね。今はちゃんとエレベーター付きのアパートに建て替えられて、そっちに移り住んだ。住み替えのときは大量のゴミやなんかを処分しないといけないから大変でね。自治会長の私の携帯電話は鳴りっぱなしでしたよ(笑)」
街が変化した理由は、タワマンの建設だけではなかったようだ。

ガスの科学館と豊洲千客万来
繰り返すが、豊洲は金槌のような形をしている。ここまで見てきたのは、金槌の頭の部分だ。豊洲駅から南西の方向にあるのが金槌の柄の部分だ。柄の真ん中あたりに豊洲市場がある。ゆりかもめに乗れば、豊洲駅から市場前駅までは2駅だ。しかし、天気もよかったのであえて歩いてみた。途中にいろいろと見ておきたいものもある。
まずは豊洲公園(江東区豊洲2-3-6)。ちょうど金槌の頭と柄の接合部分にある。この日は休日で、多くの家族連れでにぎわっていた。豊洲の住民だけでなく、他の地域から小さなテントを持ってピクニックに来ているグループもいた。

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