昭和30年代には、市の北部に続々と工場が誘致され、工業都市の側面も持つようになった。昭和30年代後半〜40年代にかけて、団地や社宅が次々と建設された。

工場の誘致に加え、東京のベッドタウン化によって、1955(昭和30)年に約10万人であった人口は、1980(昭和55)年には約30万人にまで増加した。
湘南らしさを生かす街づくりが始動
現在、「テラスモール湘南」がある地には、かつて関東特殊製鋼(カントク)の大規模工場があった。
2002(平成14)年にカントクの工場が全面撤退を表明したことを機に、辻堂駅周辺の街づくりについて協議されるようになる。
2005(平成17)年に「辻堂駅周辺地区まちづくり方針」が策定され、街の愛称が「湘南C-X」に決まった。翌年には、「辻堂神台一丁目地区土地区画整理事業」が施行認可された。
「辻堂駅周辺地区まちづくり方針」では、「湘南C-X」の3つの将来像が定められた。その1つは、「湘南ならではのライフスタイルを展開・発信する拠点」である。景観形成の方針にも、「湘南の気候や風土など、地域が有する自然環境を活かしたまちづくりを行う」旨が含まれている。
そして、約25ヘクタールの土地が、6つのエリアに区切られた。その中の複合都市機能ゾーンの事業者として、住友商事が選ばれた。

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