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ライフ #商業施設で変わった街

「東海道の宿場町、東洋のマイアミとして発展」「鉄道の開通で京浜からのアクセス向上」…"湘南ブランド"確立の背景

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  • 坪川 うた ライター・ショッピングセンター偏愛家
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1902(明治35)年には、江之島電気鉄道の藤沢〜片瀬が開通。1910(明治43)年に鎌倉まで全線開通すると、路線の通る藤沢市の東部が変わっていく。

続いて1916(大正5)年に東海道線の辻堂駅が開業すると、駅周辺である市の南西部が変化し始める。1929(昭和4)年、南北に走る小田急線江ノ島線が開通したことで、市の北部も変わり始めた。

藤沢市の路線図(出典:藤沢市観光公式ホームページ)

藤沢市はこれらの鉄道の開通を機に、東京・横浜からの別荘地として有名になった。

夏の行楽地の定番に

1931(昭和6)年、小田急線江ノ島線にて海水浴客用の直通電車の運行が開始されたことで、海水浴客が激増した。片瀬海岸は夏の行楽地として地位を確立。明治時代から一部の別荘人に楽しまれていた海水浴は、昭和初期に大衆の娯楽として広がっていった。

神奈川県は「湘南海岸公園計画」を立て、湘南の地域開発に取り組む。1936(昭和11)年に4年後の東京オリンピック開催が決まると、ホテルが建設されるなど、海岸地帯の開発が盛り上がった。(のちにオリンピックは辞退し、幻となった。)

戦後、湘南海岸は「東洋のマイアミ」と呼ばれ、藤沢市は観光都市として発展していく。海の家の規格統一やデザインの一新が行われ、美観が整えられた。

2022年に訪問した片瀬海岸。この上なく夏を感じた(筆者撮影)

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