"聖地巡礼ブーム"の始まりは1980年代…超名作「尾道三部作」からだった! 舞台地となった「尾道」の《泣きそうなくらい懐かしい》風景

✎ 1〜 ✎ 25 ✎ 26 ✎ 27 ✎ 28
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

大林監督は、これらの作品を通じて、いわゆる観光地的な風景とは異なる、尾道の坂道や路地など、何でもない風景をありのままに描き、「リアルな尾道」を伝えようとしました。

ファンは、旅行雑誌等に掲載されていたロケ地マップを片手に、このシーンはどこの路地が使われたのかを特定して訪れ、記念撮影を楽しんだといいます。40年経った現在でも尾道の路地はとても複雑で、筆者は紙のロケ地マップに加えてGoogleマップを片手に歩きましたが、それでも迷ってしまうほどです。

尾道
街のあちこちにある尾道名物の「坂道」(筆者撮影)

そして、それまであまり積極的にかかわってこなかった「ロケ地」側の自治体が、舞台地としての地域活性化の可能性に注目。結果として全国に広がっている「フィルムコミッション」のように撮影に協力しはじめたのも、この作品群と尾道市が最初といわれています。

その後、日本中でフィルムコミッションは増え続け、今では全国128カ所(ジャパン・フィルムコミッション加盟団体)となっています。広島県内には尾道以外にも広島市や福山市、三原市などに設置され、現在に至るまで多くの地域発映画が作られることとなりました。

『踊る大捜査線』シリーズなどで知られる本広克行監督は、2013年の大林監督との対談で、出身地の香川県について「大林監督に、故郷に恩返しするために“讃岐三部作”を撮りなさいと言われた」と語っています。

こうして『サマータイムマシン・ブルース』『UDON』『曲がれ!スプーン』の「讃岐三部作」が生み出されたのでした。

映画のまちに残る「レトロ商店街」

さて、尾道の話題に戻りましょう。同地はもともと「映画のまち」ということで、小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)に代表されるように、多くの監督やキャストに愛されてきました。

尾道
映画ファン垂涎ものの資料を展示している「おのみち映画資料館」(筆者撮影)
次ページ数々の映画に登場した「レトロ商店街」
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事