大林監督は、これらの作品を通じて、いわゆる観光地的な風景とは異なる、尾道の坂道や路地など、何でもない風景をありのままに描き、「リアルな尾道」を伝えようとしました。
ファンは、旅行雑誌等に掲載されていたロケ地マップを片手に、このシーンはどこの路地が使われたのかを特定して訪れ、記念撮影を楽しんだといいます。40年経った現在でも尾道の路地はとても複雑で、筆者は紙のロケ地マップに加えてGoogleマップを片手に歩きましたが、それでも迷ってしまうほどです。

そして、それまであまり積極的にかかわってこなかった「ロケ地」側の自治体が、舞台地としての地域活性化の可能性に注目。結果として全国に広がっている「フィルムコミッション」のように撮影に協力しはじめたのも、この作品群と尾道市が最初といわれています。
その後、日本中でフィルムコミッションは増え続け、今では全国128カ所(ジャパン・フィルムコミッション加盟団体)となっています。広島県内には尾道以外にも広島市や福山市、三原市などに設置され、現在に至るまで多くの地域発映画が作られることとなりました。
『踊る大捜査線』シリーズなどで知られる本広克行監督は、2013年の大林監督との対談で、出身地の香川県について「大林監督に、故郷に恩返しするために“讃岐三部作”を撮りなさいと言われた」と語っています。
こうして『サマータイムマシン・ブルース』『UDON』『曲がれ!スプーン』の「讃岐三部作」が生み出されたのでした。
映画のまちに残る「レトロ商店街」
さて、尾道の話題に戻りましょう。同地はもともと「映画のまち」ということで、小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)に代表されるように、多くの監督やキャストに愛されてきました。

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