鎌倉店は観光地らしく来客はあったものの、やはり一度きりの来訪者が多く、リピートが少ない。「ラーメン店は観光地より、地元に愛されてこそ続く」という学びを得て、りゅう社長は「次は必ず東京で」と決めていた。
選んだ物件は3坪の元カメラ店。3年間も閉ざされ、中はゴミ屋敷同然だった。普通なら敬遠するような物件をあえて選んだ理由を、りゅう社長はこう語る。
「普通はそんな物件は“面倒くさいからやめとけ”ってなりますよね。でもそのストーリーが欲しかったんです。ゴミ屋敷から繁盛店にするって、面白いじゃないですか」(りゅう社長)
中のゴミごと引き取ってもらえればという条件付きでの契約。りゅう社長は仲間と共にお店を片づけ、スケルトンに戻して、2日でカウンターを作り上げた。

最初、りゅう社長からこのテナントの話を聞いたとき、筆者が感じたのは「普通なら選ばない、選べないテナントだ。でも、りゅう社長ならやれるだろう」ということだった。本連載でも取り上げているが、りゅう社長は店内の清潔さに対して、並々ならぬこだわりを持っている。
「味づくりにはセンスや技術などあるが、清掃であれば誰にでもできる。そこを怠ってはいい店づくりはできない」をモットーに、「一斗缶を置いている台」「額縁」「ゴミ箱の蓋」など、見逃されがちな場所も丹念に掃除する仕組みづくりを行っているのだ。
そうして生まれた店舗は、わずか3坪の空間に7席。「狭小店でも成り立つ」ラーメン店が生まれたのである。
トレンドに逆張りする値段設計と、それを可能にする仕組み

看板商品は「魚介塩そば」だ。麺の上にとびっこ、「下からガッツリ混ぜる」とチャーシューとネギが出てくる。「のせると価格が安定しないから」と「鈴の木」からトッピングしてこなかったチャーシューを解禁した。

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