麻雀店なのに市場で仕入れた魚をさばき海鮮丼をつくる…「料理がおいしすぎる雀荘」が誕生した経緯

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智徳さんが25歳で厨房に立つようになったのは、キッチンの責任者が辞めたからだった。「やったことないけどできそうだ」と思い、調理を担当するようになった。

渋谷店には4人1組の卓が14卓あったため、夜の7時になると約50人分のオーダーが一気に入る。それを智徳さんとスタッフの2名で作らなければいけなかった。

大量のオーダーに対応するために効果的だったのが海鮮丼だった。「フライパンを使う料理は時間がかかるんですよ。でも海鮮丼は、ご飯の上に刺身を並べるだけ。昼間の時間帯に仕込みをしていれば、すぐに提供することができます。僕が調理を始めた時は冷凍マグロの柵などを切って盛りつけるだけのシンプルな海鮮丼でしたが、1日に3杯以上食べる人もいました」

海鮮丼のマグロ(写真:筆者撮影)

他店での挫折が教えた「お客様に喜んでもらう」大切さ

智徳さんは料理よりも麻雀を打つことが好きだという。「料理はお客様に喜んでもらえるのがうれしくて。試行錯誤しているうちに今の形になったんです」。

高校卒業後はやりたいことがなかったためフリーターの道へ。ガラパゴス渋谷店の収入だけでは生計を立てられず、他の雀荘で週に5日働いた。しかし、アルバイト先では思うようにお金がたまらなかった。ゲーム代を払って麻雀を打つことが業務に含まれていたためだ。

オーナーの田嶋智徳さん(写真:筆者撮影)

アルバイトの時給は800円だったが、1回のゲーム代は400円。1時間に2回麻雀を打つと時給と同じ金額が消えた。また、智徳さんがゲームに勝つと客は不機嫌になる時もあった。

「大好きな麻雀が嫌いになりそうでした」。雰囲気の悪い職場に疲弊した智徳さんは2年働いた後にアルバイトを辞めた。この時期にガラパゴス渋谷店の夜の責任者が辞めることになり、父に「夜の責任者をやらないか」と誘われて本格的にガラパゴスで働き始めた。

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