天皇の意向を退ける「尊号事件」 反感買う松平定信がさらに敵を増やしても尊号宣下を拒否したワケ

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京都御所(写真:Daikegoro / PIXTA)
京都御所(写真:Daikegoro / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第37回は、松平定信が天皇の意向を退ける「尊号事件」について解説する。
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定信の老中辞任にもつながった「尊号事件」とは?

老中首座となった松平定信は、賄賂が横行した商業主義政策を見直すべく「寛政の改革」を断行する。緊縮財政と風紀取り締まりによって、幕府の財政を立て直そうとした。

大名から百姓・町人に至るまで倹約が要求されて、高価な櫛(くし)や煙管(きせる)など売買が禁止されたほか、女性の髪結いや「富くじ」も営業停止に追い込まれた。

そのほかにも、金や銀の装飾品、絹の衣服、高価なおもちゃ、さらに値段が張る初物(はつもの)まで売買が禁止されたという。

人々から反感を買うことになった定信が、さらにその評判を悪くしたのが「尊号事件」(「尊号一件」[そんごういっけん])である。幕府が公家を罰するという展開となり、定信の老中辞任につながったともいわれている。一体、何が起きたのだろうか。

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