そして定信の読み通りの展開になった。幕府側が尊号宣下を再び退けたにもかかわらず、朝廷は「尊号宣下を断行する」と通告してきた。定信は尊号宣下について「決して御無用」と改めて拒否。さらに、武家伝奏の前権大納言・正親町公明、議奏の前権大納言・中山愛親、同じく議奏の前権大納言・広橋伊光の3名の公家を、江戸に召喚すると朝廷に通告したのだ。
朝廷側もまさかここまで強硬だとは思わなかったのだろう。天皇は慌てて尊号宣下を取り止めて、3名の江戸への召喚を免れようとしたが、定信の態度は頑なで、中山と正親町の2人を江戸に呼び「職責を果たしていない」と処罰している。天皇を罰するわけにはいかないので、側近にその責任をとらせたのである。
これまでも、幕府が官位を持つ公家を処分することはあったが、その際には事前に朝廷に通告し、朝廷が官職を解いてから、幕府が処分するという流れが慣習となっていた。朝廷の顔をつぶさないための配慮からだ。
ところが、今回は定信の「武家も公家もともに王臣」という方針により、大名を処罰するときと同じように、朝廷に事前に通告することなく、公家にも処分が断行された。
とことん原則を貫く定信。幕府と朝廷との間に大きな溝が生まれたことは言うまでもないだろう。
定信が警戒した「一橋治済の暗躍」
定信がここまで強硬に尊号宣下を拒否したのには、実はある男を警戒していたからでもあった。11代将軍・徳川家斉の実父・一橋治済である。今回の大河ドラマ「べらぼう」では、陰謀家として描かれている治済だが、実際にもなかなかの策略家だったらしい。
もし、ここで「天皇の父」への尊号宣下を許せば、治済もまた「将軍の父」として大御所になり、政治に介入しようとしてくるはず。いつでも一手先を読んだ定信は、そうした展開を食い止めるためにも、尊号宣下を許すわけにはいかなかったのである。
しかし、ただでさえ倹約令でみなの反感を買っているときに、朝廷と将軍家まで敵に回せば、定信の立場も危うくなってくる。この尊号事件が、定信の老中辞任への流れを決定づけることになった。
【参考文献】
松平定信著、松平定光著『宇下人言・修行録』(岩波文庫)
藤田覚著『松平定信 政治改革に挑んだ老中』(中公新書)
高澤憲治著『松平定信』(吉川弘文館)
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