大怪我で20日間意識不明の事態に追い込まれた私が、「死後の4つの可能性」を古典に学んでみたら、人生で大切なことが見えてきた

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魂が存在しないとしても、この世界を認識する「意識」が確実に存在する。そして重要なのは、私たちが“いまこの世界を生きている意識的な存在”だという事実だけである。

ニーチェの「永劫回帰」という考え方

たとえば、コップは世界を構成する能力を持たない。コップは意識的な存在の世界に置かれているだけで、自分だけの世界を持つことはできない。それに対して僕には、独自の世界を構成する能力があるし、すべての瞬間にそれを確認することができる。
僕のこの能力は、どこから来るのだろうか?
魂が存在すると思う人は、僕の魂から来るのだと答えるだろう。
一方で、魂の存在を認めない唯物論者は、脳という物質から生まれる能力だと答えるはずだ。あくまでも脳という物質が意識能力を持っているのだから。(368〜369ページより)

また、これと似たような考え方は、ニーチェの「永劫回帰」にも確認できると著者は述べている。

可能性④「永劫回帰」

時間が断絶する「無」、接続する「永遠の命」、反復としての「輪廻」は、死後の可能性のなかでもよく知られているだろう。しかし、あまり知られていない可能性がもうひとつあり、それがニーチェの「永劫回帰」なのだそうだ。

ご存じのとおり、ニーチェがはじめて永劫回帰という考え方を提示したのは著書『ツァラトゥストラはこう語った』であり、これはニーチェの中核をなす概念のひとつである。

“時間と空間が変化することもなく、これまでと完全に同じ人生を永遠にくり返す”のが「永劫回帰」だ。

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