大怪我で20日間意識不明の事態に追い込まれた私が、「死後の4つの可能性」を古典に学んでみたら、人生で大切なことが見えてきた
死後には天国に行くかもしれないし、地獄に行くのかもしれないし、どちらにも行けずさまようことになるのかもしれないが、どうであれ“なにかを体験し続ける”ことになるわけだ。時間もまた、死ぬ前と同じように流れていく。
東洋思想のもう1つの見方
こうした考え方は、物質と精神がそれぞれ別の存在であるという物心二元論に基づいている。身体が死んでも時間が流れ続けるためには、身体とは別の存在としての魂が必要になるからである。
可能性③「輪廻」
死後に時間がくり返されるという輪廻の考え方においては、死後に誕生、成長、老衰、死をくり返し体験するとみなされる。多神教である『ヴェーダ』、ヒンドゥー教、仏教では「輪廻」と呼ばれるものだ。
輪廻が成立するためには、精神と身体は別の存在だという物心二元論の考え方が必要になる。しかし、精神の存在を認めない唯物論の観点から輪廻を説明することもできるようだ。魂が存在するか否かに関係なく、輪廻が行われる可能性はあるというのである。
まず物心二元論の考え方にもとづいて、身体とは別の霊的なものが存在するとしよう。この場合、輪廻は霊的な存在が新しい服に着替えるように、古い身体を捨てて新しい身体に入ることだといえる。
このように、物質としての肉体が死んで消滅しても、非物質的な存在として輪廻転生する主体を、多神教では「アートマン」という。
とくに『ヴェーダ』と「ウパニシャッド」、これを継承したバラモン教やヒンドゥー教では、不変の存在としてのアートマンを認めている。(367ページより)
著者によれば輪廻は、「意識」がくり返されることなのだそうだ。
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