大怪我で20日間意識不明の事態に追い込まれた私が、「死後の4つの可能性」を古典に学んでみたら、人生で大切なことが見えてきた
著者はそこで“すべての人が持っている共通項”としての「教養」「人文学」の重要性を説いていたが、それらを知ることは間違いなく、「恥ずかしくて人に聞けない」というモヤモヤを解消するために役立つ。
“こんなことも知らない自分”を受け入れ、そこから先に進むべきだからだ。
純粋な好奇心を維持しつつ、“足りないなにか”を補完し続けるべきなのだ。
さて、「現実世界」を扱っていた1巻に続く本書についてである。この2巻では、真理、哲学、科学、芸術、宗教、神秘の6パートに分けたうえで「現実の向こう側の世界」に焦点が当てられている。よりアカデミックな考察がされているともいえるが、1巻同様、そのアプローチは決して難解なものではない。
知的好奇心をぐいぐいと刺激してくる各項目のなかから、今回は「6 神秘 人生でもっとも大切な『語り得ぬもの』について」のなかから“死”に対する記述をクローズアップしてみたい。
もし、死んだらどうなる?
臨死体験は、死の瞬間に経験するものだといわれている。著者はそれを「幻想なのか現実なのかに関係なく、死の過程で経験する完全に主観的なもの」だと述べているが、この考え方には強く共感できる。
私は9歳のときに大怪我をし、20日間意識不明という死んだも同然の事態に追い込まれたことがある。意識のどこかにぼんやりと残っているのは、担架に乗せられ救急車のなかに入っていく自分を上から見下ろしている記憶だ。そのため、ある時期までは臨死体験を信じていたのだが、年齢を重ねていくにしたがって、「あれは思い込みだったのではないか?」という疑問を持つようになった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら