経営のプロも「ビジネスになるか!」と一喝してたのに…なぜ「セルフうどん」は全国を制覇? 丸亀製麺・はなまるうどんの歴史から読み解く
一方で、讃岐うどんブームの火付け役となった「麺通団」(「タウン情報かがわ」田尾和俊編集長(当時)を中心としたグループ)がプロデュースした「東京麺通団」は、讃岐弁しか喋れない濃いキャラクターの料理人(元:観音寺市の居酒屋店主)ごと東京に輸出、うどんだけでなく骨付鶏・イリコ天ぷらなど県の名物を提供する「うどん居酒屋」形態という付加価値を付けた。茅場町・赤坂など数店舗が閉店したものの、いまも西新宿・水道橋で盛業中だ。
異業種からは、「紳士服のはるやま」を展開する「はるやま商事」(現在の「はるやまホールディングス」)が、2003年にセルフうどん店「釜たま」で参入。わざわざ外食事業部を立ち上げて「目標100店」を掲げたものの、多店舗展開ができないままにブームが去った。のちに脱セルフ化などで将来を模索したものの、ほどなく完全撤退に追い込まれている。

また、古書店「ブックマーケット」を展開する「株式会社フォー・ユー」は、創業期の「はまなるうどん」と協力関係にあったものの、突如に提携を解消。「はなまる」渋谷出店の翌月(2002年10月)に独自で「さぬき小町うどん」を立ち上げ、全国50店舗(直営37店・フランチャイズ13店)まで規模を拡張した。この時点で「はなまる」に次ぐ業界2番手につけた……あたりでブームが去り、十億円以上の特別損失に。2004年に買収額3億円で「すかいらーくHD」傘下入りし、店舗は現存していない。
ところが、意外なところで「ローカルうどんの全国進出」の系譜が繋がる。「さぬき小町うどん」を率いていた崎田晴義氏は、買収の際に「すかいらーくHD」に合流。2024年に傘下入りした「資さんうどん」(株式会社資さん)の会長に就任し、再びうどんビジネスに関わることとなった(都内進出1号店となった「資さんうどん両国店」でもテキパキと働かれていた)。
セルフうどんの課題は「単価・利益」ブーム後の「はなまる」茨の道へ
こうして振り返ると、低単価・コスパにこだわったチェーン店は軒並み消滅し、夜営業などで付加価値を生み出した店は生き残っている。
「セルフうどん」は格安・低単価のイメージを持たれている分、集客ができたところで単価アップ・利益確保が難しく、各店は「とても混雑しています。うどんブームです!」と華々しく持ち上げられてすぐ、採算割れで撤退を余儀なくされたのだ。
さて、「はなまるうどん」はどうなったのか?渋谷出店後に「全国1000店舗」を掲げ、2003年には最高益を更新。猛烈な勢いでフランチャイズを集めて同年12月に150店を突破したものの……ブームの終焉とともに2004年・2005年は赤字に転落。30カ月以上も前年割れが続くという、会社存亡の危機に立たされた。
結局、2006年に「吉野家ホールディングス」子会社となり、のちに吉野家本体の社長となる河村泰貴氏のもと「まずはQSC(品質・サービス・清潔感)の徹底から」という、地道な再建の道を辿ることになる。「はなまる」はブームの立役者にはなれたものの、全国に通用するビジネス化という観点では、一度つまずいてしまったのだ。

さて、疑問に思わないだろうか?ここまで、現在の覇者である丸亀製麺がいっさい出てきていない。
丸亀製麺の東京進出は、「讃岐うどんブーム」が去った2004年。進出理由も「鶏インフルエンザで焼鳥店事業(とりどーる)の先行きが見えなかったから」という、きわめて消極的なものだった。丸亀製麺は、いかにして「はなまるうどん」を押しのけ「セルフうどん」の課題を克服し、覇者となったのか? 後編―丸亀製麺『1強』はなまると"差がついた"納得理由―で解説していこう。
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