兄が死に、その母は「気絶し絶望」不本意にも養子に出された松平定信が何よりも恐れた"田安家断絶の危機"とは
治察の死は、田安宗武の正室(宝蓮院。近衛家久の娘)にも衝撃を与えたようで、倒れ伏し、気絶するほどだったといいます。
「田安家が断絶すれば、亡き宗武公に何と言えば良いのか。賢丸(定信)を白河松平家に養子に出したのは本意ではなかったが、幕府執政による邪な計らいにより、実現してしまった。とはいえ、それを許したのは、私と治察と重臣である」と宝蓮院は絶望の言葉を述べたとのこと(ちなみに、定信は側室の子)。
気絶した宝蓮院は、湯薬を勧められましたが「田安家が断絶したことにより、下々の者が飢渇・離散してしまったならば、どれほどの苦しみであろう。田安家の後継が定まれば良いが、そうでないならば、今、湯薬を舐めて命を貪ることはできない」と薬を飲むこと拒んだとされます。宝蓮院もまた立派な心がけの女性だったといえましょう。
後継が定まらないまま“宙ぶらりん”に
「田安領、田安附きの者、今までの如し」との将軍の命令が老中(松平輝高)を介して、9月上旬に伝えられたことにより、田安家の人々はひとまず、安堵したようです。
ところが、後継の当主はいまだ定められず。田安家は宙ぶらりんのまま、長期間、放置されることになるのです。定信としても、田安家の行く末が気がかりだったでしょうが、その一方で学問に精を出していたようです。定信は田安家に戻ることはできるのでしょうか。
(主要参考・引用文献一覧)
・藤田覚『松平定信』(中公新書、1993年)
・高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012年)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら